伝えたい気持ちがどれだけ真剣か

先日、埼玉スーパーアリーナ(SSA)で開催された、BABYMETALの、METAL GALAXY WORLD TOUR IN JAPANの二日目に参戦。BABYMETALの現場からはYUI-METALの卒業と共に卒業したつもりだったんですが、鞘師里保岡崎百々子藤平華乃という、BABYMETALの伝説を作り上げたピースの中から選ばれたAvengersの参入と、最新アルバムMETAL GALAXYの余りのエモさに完全にノックアウトされてしまって、たまらず現場復帰してしまいました。そりゃあ無茶苦茶ぶち上がったんですけど、今日はあまりそのステージの感想を書くつもりはなくて、自分の身近にあるオペラ舞台表現とかも含めて、ちょっと雑感を書きたいと思っています。

BABYMETALは、アイドルとメタルの融合という新しいコンセプトのもと、あんなのメタルじゃない等の様々なバッシングを受けながら、過去の常識への挑戦を続けている自分たちの闘いを、「METAL RESISTANCE」として物語化してきました。周囲の無理解との闘いやくじけそうな自分、共に闘う仲間との絆、という物語を熱く歌う、というのが前作までのコンセプトで、それはそれである意味、彼ら自身のリアル世界での挑戦や成果とシンクロして、非常にエモーショナルな物語世界を作り上げていた。

でも、新作のMETAL GALAXYでは、はっきり明示されているわけではないものの、志半ばにして、新しい道、別の夢へ舵を切ったかつての仲間への応援歌に聞こえる曲が沢山あって、それがこのアルバムのエモさを増幅している。「Brand New Day」「Distortion」「Shine」「Arkadia」あたりの曲がどうしてもそう聞こえてしまうファンは私だけじゃない。それらの曲は間違いなく、グループを卒業したYUI-METALへの応援歌であったり、「星を見に行く」と言って事故死した早逝の天才ギタリスト、小神こと藤岡幹大さんへの追悼歌として聞こえてしまう。Arkadiaの一部の英語歌詞が、「YUI-CHAN BE AMBITIOUS!」と聞こえる、というツイートが流れるなど、過去のBABYMETALを知る人には、BABYMETALを続けていくんだという二人の強い決意と、新しい道を歩み出したYUI-METALに対して、その挑戦を見守る優しさを見て涙してしまう人がたくさんいる。

多分、表現しているSU-METALやMOA-METALも、そういう物語を意識せざるを得ないと思うんだね。そして逆に、伝えたいメッセージが抽象的概念的なのではなくて、「かつての仲間」という具体的な「伝えたい相手」を得たことによって、間違いなく彼らの表現自体が説得力や凄みを増している感覚がある。METAL GALAXYというアルバムの持っている圧倒的な説得力が、SU-METALやMOA-METALのYUI-METALへの強い思いに支えられている、というのは多分間違ってないと思うんです。

自分も舞台をやるので何となく分かるんだけど、舞台上で表現する時に、きちんと客席のお客様一人一人に何かを伝えよう、と思って表現するのと、自分の中だけで表現が閉じてしまう時とでは、説得力が全然変わってくるんですよね。伝えるメッセージによって、相手の心に何かを与えよう、何かしら、相手の気持ちや行動に変化を与えたいと思いながら伝える表現は、やっぱりパワーが違うし、その相手が具体的な「誰か」である場合の説得力は全然違う。客席に何も届けるものがなく、ただ楽譜をなぞって、楽譜通りに歌えるスゴイ私を見てちょうだい、という自己顕示欲で完結している歌い手なんかいっぱいいるし、そういう表現は確実に客席を冷めさせるんです。

そしてそのメッセージの力は物語を別のステージへと高めていく。METAL GALAXYというアルバムに込められた、ある意味「極私的」「個人的」な思いに支えられた変革や前進へのメッセージが、突然普遍的な意味を持った瞬間。それが、BABYMETALが香港の野外音楽フェス、Clockenflapに参加する、というニュースだったんです。このニュースが公表された時、既に香港は大規模な抗議活動の只中にあって、その中でフェスへの参加を決めたBABYMETALには結構驚きの声も上がった。でも、抗議活動が激化し、学生達の行動がどんどん命がけのそれへと変化していくにつれて、BABYMETALの歌のメッセージが香港の人たちに与える影響を危惧する声がどんどん増えていった。だってねぇ、BABYMETALの代表曲なんて、タイトルが「Road of Resistance」ですよ。最新アルバムの終曲「Arkadia」の以下のような歌詞が、今の香港の空に響いたら、本当に何が起こるか予想もつかない。

 

光より速く 鋼より強く
使命の道に怖れなく
どれほどの闇が覆い尽くそうと
信じたこの道を歩こう

For your dream, for your faith, for your life
動き始めた時代の歌は夢に響き合う
今 no more tears, no more pain, no more cry
あの誓いの大地へ 遥か遠くへ
輝き放つアルカディア

 

この歌が今の香港で歌われたなら、極私的なメッセージはいきなり普遍的なメッセージになる。そして多分BABYMETALの二人は、今の香港だからこそ、自分たちが行ってこの歌を歌わねば、と思ったかもしれないって想像するんです。あの子たちは、音楽の持つ力、自分たちの歌の持つ力を信じているから。例えそれがどれだけ危険なことであっても。アンチファンが、ステージを無茶苦茶にしてやるとツイッターに投稿していたソニスフィアの舞台に立ったあの二人だから。

Clockenflapはあまりの抗議活動の激しさに結局フェス自体が開催中止となり、BABYMETALの二人やAvengersが危険な目に会うことが避けられて、ファンの一人としては本当に胸をなでおろしたのだけど、でも、二人の思いや、何より二人の歌を心待ちにしていた香港のファンのことを思うと、なんともやるせない気持ちもある。SSAでのパフォーマンスが最高に盛り上がったのには、香港の人たちに届けようというメンバーの思いもあったのかも、とも思ったりします。

音楽含めて、芸術表現には、人の心を変える、動かす力がある。そういう表現は時に、命がけの真剣勝負になる。BABYMETALの歌には、聞く人、見る人に思いを届けよう、というそういう真剣さがみなぎっていて、同じ舞台表現に少しだけ関わっている者として、なんだか背筋が伸びるような思いがするんです。全然違う話だけど、愛知トリエンナーレの騒動がものすごく浅薄に見えてしまうのは、企画者の側に、自分の命が危険にさらされようと、この表現によってこの世界を変えねばならない、という真剣さではなくて、単なる売名目的の覚悟の無さが透けて見えるからなんだよね。表現者として立つからには、人に伝えるのだ、人を変えるのだ、人を動かすのだ、その結果を全て、自分の身体で受け止めるのだ、という覚悟を持たねば。