歌に対するコンセンサス

この三連休の間に伺った二つの演奏会の感想文を。歌に対するコンセンサス、というか、共通認識、のようなものが、演奏のクオリティや聴衆の反応を左右する、というのをちょっと感じた演奏会でした。まずは、7月13日にトッパン・ホールで開催された、「山田武彦と東京室内歌劇場 Vol.4」から。

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終演後の全員写真を、出演者の女房からもらいました。

東京室内歌劇場の実力派歌手たちが揃い、山田武彦先生の編曲とピアノに合わせて、日本歌曲やオペラ、歌謡曲を歌う、というこの企画。圧巻は第二部の、「歌謡曲でほぼ日本縦断 そして寄り道」というパート。演奏された曲を並べてみますが、これをクラシック歌手ががっつりしたベルカントで歌う様子を想像しただけでワクワクしません?

 

知床旅情

イヨマンテの夜

柿の木坂の家

青い背広で

黄昏のビギン

愛燦々

蘇州夜曲

南の花嫁さん

古城

ふたりの大阪

こいさんのラブコール

宗右衛門町ブルース

長崎の鐘

 

聴衆の皆さんの年齢層が結構高かったこともあり、演奏の途中に客席から鼻歌が聞こえてきたり、お客様の心の真ん中にしっかり直球で届いた感じ。昭和歌謡をクラシック歌手ががっつり歌う、というのは、田中知子さんの「シャンソン・フランセーズ」にもある企画なんですけど、昭和歌謡が声楽的にもしっかり作られていることが改めて分かります。さらに、それを彩る山田武彦先生の自在なピアノと華やかな編曲もあいまって、昭和歌謡の新たな魅力を再発見した気分になりました。

面白かったのは、一つの曲に対して、会場全体が一種の「コンセンサス」のようなものを共有している感じがしたこと。知床旅情、という曲に対して、お客様の一人一人がそれぞれの個人史の中で色んな印象や感想を持っているのだろうけど、森繁久彌さんのあの歌い口ととぼけたキャラクター、あるいは、加藤登紀子さんの力の抜けた歌唱を、お客様のほとんどが知っている。そういう「コンセンサス」、もっと単純に言えば、「この曲知ってるわ」という気持ちが共有されているところに、綺麗なドレスを着たソプラノ歌手がベルカントでこの曲を歌うと、「あら、こうして聞いても、やっぱりこの曲、いい曲よねぇ」という、ちょっと別のステージから生まれる感動や発見がある。ポップスの世界でも、名曲のカバー、というのがありますけど、それを一期一会のライブ会場の生演奏で聴くと、余計に心身に沁みる感覚があります。「コンセンサス」を崩すことによって生まれる化学反応、とでも言うか。

そういう意味では、若干中途半端かな、と思ったのが、第一部の後半に演奏されたオペラ・オペレッタのアリアパートで、確かに演奏会の「品格」みたいなものを保つにはこういう本格的なクラシック曲もあっていいのだけど、客席側に少し「背筋を伸ばして」聞かないといけないかな、というような、ちょっと固い空気感が流れちゃったかな、という気がしました。同じオペラでも、山田武彦さんが手がけている浅草オペラのシリーズみたいに、それこそ、オペラと言うものに対する既成概念、一種の「コンセンサス」を崩してしまうようなアプローチであれば、全体の統一感もあったのかもしれないんですが。そういう意味では、カルメンの「ハバネラ」を客席でサービス精神たっぷりに歌った田辺いづみさんや、レハールの「メリーウィドウワルツ」をちょっとした小芝居でチャーミングに演じた吉田伸昭さん、大津佐知子のコンビは、山田先生流の遊び心あるパフォーマンスで、空気を和らげてくれました。しかし、「メリーウィドウワルツ」の小芝居は、本番直前に吉田さんが思いついてその場でアドリブで作った、という話を聞いて驚くやら呆れるやら。本当に自在な方。山田先生、吉田先生初め、共演者の皆様、女房が大変お世話になりました。昭和歌謡や日本のメロディーの魅力を、色彩豊かに届ける演奏会、次回が本当に楽しみです。

 

さて、もう一つの演奏会は、15日に新宿文化センターで開催された、大久保混声合唱団の第42回定期演奏会。女房が元団員で団内指揮者だったご縁で、私も何度か舞台の裏方をお手伝いさせていただいたこともある、伝統ある合唱団。昔古巣にしていた新宿文化センターに戻ってきて、しかも、辻秀幸先生が顧問としてバッハを振るという。これは聞かねば、と女房と新宿文化センター目指して出かける。

ところが、調布まで来たところで、京王線が人身事故で止まっちゃった。調布からタクシーで三鷹まで出て、なんて大回りを強いられて、第三ステージになんとか間に合いました。今麗鳴でやってる作品を作曲した横山潤子さんの編曲作品、聞きたかったんだけどなぁ。

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プログラムはこんな感じ。来年はオリンピックの真っただ中に、紀尾井ホールなんですね!

なんとか間に合った、第三ステージの「いのち」は、作曲家がピアニスト、ということもあって、ピアノ伴奏がキラキラしていて、ピアニストの村田智佳子さんの音色が本当に綺麗だった。演奏としては、少し全体の想いがまとまり切れていない、ちょっとあふれる思いが強すぎて、それこそ「コンセンサス」が得られていない感じがちょっとした。こちらの演奏会で感じたのも、「コンセンサス」という単語だったんですけど、それはどちらかというと、合唱団全体が作品に対する「コンセンサス」を共有している瞬間に、ふっと立ち昇る調和とか、会場全体を包み込む声の色のようなもので、第四ステージのバッハの演奏では、辻先生の職人芸的な指揮もあってか、がっちりした一体感を感じる瞬間が何度もありました。

一番そういう「コンセンサス」を感じたのは、アンコールで歌われたバッハのコラールと、「わたりどり」。特に「わたりどり」は、大久保混声がずっとアンコールピースとして歌い継いできた曲で、「この曲はこう歌う」という「コンセンサス」を団員全員が共有している感じがすごくしました。それを保守的、と言って嫌う人もいるかもしれないんだけど、数々の名演奏を世に送り出して、「この曲はこう歌うんだ」というスタンダードを作り続けてきた大久保混声だからこそ、確信を持って歌える歌い口のようなものがある。それが合唱団のサウンド、というか、受け継がれていく音色のようなものなんじゃないかな、と思います。メンバーはずいぶん入れ替わっても、何となく変わらない人間味あふれる声、やっぱりいい合唱団だなぁ、と思いました。大久保混声の皆様、素敵な時間をありがとうございました。

全く色合いの違う二つの演奏会を、「コンセンサス」という単語でまとめてみましたが、若干強引だったかな。でも、一つの言葉、一つの音を、複数の人たちが同じ思いを持って、「コンセンサス」を持って歌う時のパワーや魅力も捨てがたいし、一方で、ちょっとそれを崩すことで生まれる新しい魅力やというのも捨てがたいなぁ、と思った、充実の三連休でした。