沼にはまった〜さくら学院という物語〜

久しぶりに日記を更新したと思ったら、このネタかよ、というご批判は重々承知してるんですけどね。もうね、自分を偽るのはやめようと思うんですよ。観念しようと。カミングアウトしようと。ええ、もう最近本当に、さくら学院にはまってます。BABYMETALがちょっと先が読めなくなってしまっている現在、彼らの出身母体であるさくら学院をちらちら見ているうちに、ちらちらの頻度がどんどん上がってしまい、今やさくら学院の生配信番組に登録するわ、ブルーレイは買い込むわ、インタビュー記事が出ている雑誌を買いあさるわ。さくら学院ってなんだ?と思ったひとはググってみてください。ここから先は、読む方が、さくら学院とはなんぞや、ということをある程度知っている前提で書いちゃうので、Wikiとかを読んで、「小学校五年生から中学三年生の成長期限定アイドルユニット」という単語見ただけで引いちゃった人は、この場から静かに退場されるのが多分賢明かと思います。マジすみません。

7月7日、西日本が濁流にのまれている時に、まず頭に浮かんだのが、関東エリアは天気が持ちそうなので、よみうりランドで予定されていたさくら学院の屋外イベントは無事に開催されるな、というのと、西日本出身のさくら学院の生徒さん(九州と近畿の出身者が多い)のご実家は大丈夫かな、という感想だったあたりで、もうかなり重症といえる。いや、イベントに行ったわけじゃないんです。イベントが雨だったりすると、メンバーが思ったようなパフォーマンスが出来なくて悲しむかも、と思って心配になるんです。また広島県がひどいことになっているのを見て、卒業生の中元すず香さんや杉本愛莉鈴さんのご実家は大丈夫かな、と思ってしまう自分マジ気持ち悪い。さくら学院のファンのことを「父兄」と呼ぶっていうのも、周囲の人たちが一歩引いちゃう理由の一つだったりするとは思うんだけどさ。でもファンの心理を端的に表した単語だよねぇ。卒業生も含めて、メンバーが楽しく、幸せでありますように、と常に思ってしまうという。ウチの家族は白眼視を通り越して、見て見ぬふりしてますよ。視線が痛かった時期は過ぎ去って、既に、可哀想な人、みたいな哀れみの視線。

それでも、はまってしまったものは仕方ない。そしてここまではまってしまうと、やっぱり語りたくなるんですよ。特に、さくら学院というのは、すごく色んなことを語りたくなるアイドルグループなんです。それは、さくら学院の担任(舞台や生番組のMCや台本を書いている)の森ハヤシ先生が、「こんな年下の君たちから、人生ですごく大切なことを教えてもらったりする」と言っていた、その台詞そのまま。中学三年生になったらグループを卒業しなければならない、つまり、同じメンバーでパフォーマンスできるのは1年間だけ、というルール付けの下で、一つ一つの舞台が一期一会のギリギリの舞台になっていく。そこに、沢山のステージを義務的にこなしていく商業アイドルには生み出せない完全燃焼への希求が生まれる。舞台のクオリティを上げるために、真っ直ぐな感情や生々しい言葉がぶつかり合い、人間関係や人の力ではどうにもならない時の流れや偶然が絡み合い、下手な学園ドラマが顔色を失うような、シナリオのないドラマが繰り広げられていく。その数々のドラマについて、ものすごく語りたくなるんです。2010年の結成から、いくつも生まれてきた力強い物語の数々が、幾重にも積み重なり連携していく、終わらない物語の推進力に絡め取られてしまうと、何年も続く長編連載小説を読み続けているような興奮で、どこまでもズブズブとはまり込んでいってしまう。

さくら学院の父兄さんたちには、そういう物語を楽しんだり、アミューズが本気のスタッフを注ぎ込んで作り上げる舞台(振付は、あの、リオ五輪の東京アピールを演出したMIKIKO先生)の完成度や楽曲の素晴らしさにハマる人も多いので、さくら学院の父兄さんたちは全員ロリコンだ、と思われると、それはちょっと違うと思う(そういう人も多いとは思うし、お前はどうなんだと言われると言葉を濁すけど)。実際、先日行った2018年度転入式のライブビューイングで、私の隣に座ったのは、女性の父兄さんだったし。会場には他にも、初老のご夫婦や小学生含む学生さんもいらっしゃいました。ちなみに、私の隣に座った女父兄さん、ライブビューイング上映中ずっと号泣しっぱなしだったから、この方も相当なガチ父兄だと思う。もちろん、メンバーはとにかく美少女ぞろいなんで、そういうご趣味の方から見れば花園状態だと思うんだけどさ。美少女が集まっている、というだけで好きになっているんだったら、推しメンが卒業しちゃったらそこで終わりなんだけど、さくら学院はそうならない。

学校の部活動をテーマにした学園ドラマを見ているような感覚、というのが一番近い気がするんですね。響けユーフォニウム、とか、結構近い感覚があるし、ラブライブはよく知らないけど、似ている、という人も多い。実際、私の娘が高校の音楽部で幹部学年だった一年間は、娘を含めた3人の「インスペクターズ」というユニットが生まれて、様々な人間関係や困難を乗り越えて、定期演奏会の舞台を作り上げていく学園ドラマそのものだったけど、多分、どんな学校の部活動も、そういうドラマに溢れていると思うんです。思春期の少女を集めたパフォーマー養成機関を舞台にした学園ドラマを、アイドル活動として見せてしまう、というのが、さくら学院の本質で、部活動の商品化、と言っていいと思う。そして、部活動というのが、日本の学校に特有な活動である、という点からも、さくら学院というユニットが、非常に日本的な土壌から生まれたグループである、とも言えると思う。

今回は、自分がなんでさくら学院にはまったのか、という言い訳と、自分はロリコンというわけじゃない、という言い訳をダラダラ書き連ねましたけど、他にも語りたいことは結構あって、時々スイッチが入ってしまったら、この日記で爆発しちゃうかも、と思います。特に語りたい、と思っているのが歴代のトーク委員長(さくら学院は学校なので、生徒会長もいれば様々な委員長がいて、トーク委員長はステージのMCやメンバーへのトーク振りをやったりする役職)のこと。そもそもが、なんで今回カミングアウトを決意してしまったか、と言えば、週末に届いたRoad To Graduation 2017 Finalのブルーレイを見て、トーク委員長の岡田愛さんの姿に気持ちをムッチャ揺さぶられてしまった、というのが一番大きいんですよね。別に彼女のファンであるわけではなくて、むしろ、芸能界エリートで周りの空気をしっかり読める山出愛子さんや岡崎百々子さんの方が推しだったりするんだけど、2017年度のさくら学院を語る上で、この岡田さんのキャラというのは本当に欠かせないピースだったと思う。まるで、太宰治の小説がドキュメンタリー映画になったような。他を圧倒できる高度なパフォーマンス力を持っているのに、自分に対するプライドが強すぎて、かえって劣等感と自信のなさが表に出てしまう。そんな自分の弱気を偽れない正直さと、それをくよくよと後悔してしまう人間的な弱さ。森ハヤシさんは脚本家としてもかなりの売れっ子なんだけど、その森ハヤシさんをして、「あのネタだけで1時間喋れる」と言い切った卒業公演のセトリを巡るドラマと言ったら、もう涙なしには見られない。ああ、止まらん。でもまた今度にしよう。他人から見たら本当に気持ち悪いだけだしねぇ。ほんとごめんなさいねぇ。