東京室内歌劇場「天国と地獄」その2〜同時代性が時代を超える〜

昨日書いた通り、東京室内歌劇場の「天国と地獄」の感想文、今日はその2です。今回は、「天国と地獄」という作品そのものと、今回の演出についての感想を。
 

女房が出演したB組のキャスト集合写真。皆様お疲れさまでした。
 
オッフェンバック、という作曲家は、私が所属しているガレリア座が十八番にしている作曲家の一人で、私自身、今までに、「ホフマン物語」「天国と地獄」「美しきエレーヌ」の舞台にソリストとして参加させてもらっていますし、オッフェンバックの小さな二重唱やアリアなんかもいくつか歌っています。中でも、「天国と地獄」は、オッフェンバックの中でも最もメジャーな作品の一つ。オッフェンバックが大嫌いだったグルックの「オルフェオとエウリディーチェ」をパロディにしたこの作品は、運動会でおなじみのギャロップなど、楽しい楽曲にあふれ、おなじみのギリシア神話のエピソードが面白おかしくちりばめられた、笑いにあふれた喜歌劇、ととらえられていますが、実は猛毒を含んだ強烈な風刺劇。

体裁ばかり取り繕って周囲の信望を失う神々の王、ジュピターは、当時のフランス第二帝政の主役、ナポレオン三世そのもの。美女を追いかけて浮気を重ね、嫉妬深い奥さんの尻に敷かれている、というのも、皇后ウジェニーの目を盗んでは街の女を追いかけ、しょっちゅう怒られていたナポレオン三世の鏡像だったりします。そんな王様が治める天国より、みんなが楽しくわいわいやっている地獄の方がよっぽど楽しいじゃん、という皮肉など、これでもかとばかり詰め込まれた風刺と嘲笑が頂点に達するのが、ジュピターがエウリディーチェを獲得するために変身する「ハエ」(ちなみに、「蠅の王」というのは、聖書に登場する悪魔ベルゼブブの別名ですから、王様にむかって、「お前は悪魔だ」と言ってるに等しい)。この猛毒を含んだオペレッタを、ナポレオン三世は大いに気に入って、見ながら腹を抱えて笑っていたというから、いったいどういう神経をしていたんだか。

逆に言えば、この作品にはオッフェンバックの生きた1858年のパリの世相が強烈に映し出されている。そういうことを全然理解していなくても、ギリシア神話さえ知っていればそのパロディ劇として楽しめるんで、作品自体の同時代性を捨象してしまって、単純なエンターテイメントに仕立てる料理の仕方だってあったと思いますし、そういう演出はいっぱいある。でも、今回、飯塚励生さんの演出は、そういう方向性ではなくて、この作品を、現代アメリカの鏡像として、同時代性の高い舞台作品として再構築した。19世紀末の堕落したパリは、女好きの映画プロデューサが君臨する腐敗したハリウッドに、悪と享楽の渦巻く地獄はギャングが跋扈するラスベガスに、そして倦怠感に満ちた日常はカンザスあたりの田舎町に。この読み替えがものすごくしっくりハマるあたりが、オッフェンバック作品の恐ろしいところで、同時代性を突き詰めた結果、作品自体が時代を超えてしまうんだね。

時の政権を風刺する、というのは、オッフェンバックの時代には、為政者の機嫌一つで簡単に命を失うような、まさに命がけの表現だったんじゃないかと思います。現代でも、だんだんそういう風刺の精神に対する色んな圧力が強くなってきている息苦しさがある。オッフェンバックがそんな閉塞感に対して挑むために手に取った武器は音楽と「笑い」だったわけだけど、飯塚励生さんの今回の演出には、どこかにオッフェンバックに通じるような反骨精神が垣間見える気がする。今回の演出にインパクトがあるのは、この映画プロデューサの向こうに、現在アメリカの頂点に立っているあのツイッター大統領の姿が見え隠れするからだし。前回のせんがわ劇場での「魔笛」の演出も、当時アメリカを分断しつつあった対立と宥和をテーマにしていたし。そう思うと、当時のパリと飯塚励生さんの精神風土であるニューヨークって、体制に対する反骨精神、という意味では共通しているところがある気がするよね。

今回の舞台では、その舞台装置の構造も面白かった。舞台の四方を20センチほどの高さの通路で囲んで、舞台センターを窪地のようにすることで、客席の目の前を横切る通路を作る。そこが、宝塚の銀橋みたいな感じになって舞台全体に立体感が生まれる。小劇場の舞台装置をどう作るか、という引き出しの多い人なんだなぁ、と思いました。毎回、本当に勉強させてもらっています。

もう一つ、今回、「そうか、そうだった!」という発見があったのが、今回の訳詞を手掛けた和田ひできさんが、プログラムに書いていた文章。「ユリディスがバッカスの巫女になるという筋書きは、オルフェウスの死の挿話を知る者にはかなりショックな展開です。」という文章があって、そうか、オルフェウスって、バッカスの巫女たちになぶり殺しにされるんだった、と思い出した。今更の気づきだけど、確かになんという猛毒を仕込んでいることか。そう思うと、「美しきエレーヌ」も、ワイワイ大騒ぎの挙句に楽しくパリスとエレーヌが逃げ出したあと、悲惨なトロイ戦争が起きる。オッフェンバックオペレッタを、本当に「喜歌劇」と言ってしまっていいのか、ちょっと疑ってかかった方がいいですねぇ。

色んな美術作品に描かれた歴史や背景を「知ること」の楽しみを最近教えてくれたのが、中野京子さんの「怖い絵」シリーズでしたけど、色んなオペラ作品やオペレッタ作品の背景や歴史を知ることで、色々見えてくる作曲家の想いも沢山ある。そういう意味で、「こうもり」の背景や同時代性についても書きたかったんだけど、紙幅が全然足りなくなっちゃった。これはまた別の機会に。お楽しみに(ってホントに書けるのかな)。