スポーツってね、心にも身体にも悪いと思います。

そろそろ平昌で五輪が始まるってことで、色んなメディアがスポーツ関連の話題を振りまいてますがね。そういうニュース見るたびに、昔の私の上司が言っていたセリフを思い出すんですよ。

「スポーツは体に悪い」

っていうセリフ。その上司はとにかく運動が嫌いで、ジャズが好きで、クラリネットがプロ級の腕前でした。でも、スポーツはしない。接待ゴルフなんて一切やらない。「ゴルフはいかがですか?」なんて言われて、必ず言ってたのがこのセリフ。まぁ、スポーツ愛好家が聴いたらムッとしちゃうようなこういうセリフをさらっと口にしちゃうくらいですから、あんまり社交的な上司じゃなかったですけどね。でも、言ってることは正しい気がするんだなぁ。

どのスポーツにも共通する基本運動をしっかりやる、っていうのは、きっと身体にいいと思うんです。体の筋肉と骨格の可動域を広げるってやつね。若い頃はここまで手が届いてたのに、なんて嘆きを予防することができる。身体の可動域を広げるストレッチを欠かさずやる、ってのは、生活の中での思わぬ事故を防止する、という意味でも、いわゆる「健康寿命」を伸ばす意味でも、「体にいい」と思う。

でもねぇ、一つのスポーツをとことんやりまくって極めるってのは、体のバランスを崩すと思うんだよね。テニス肘、なんて言葉もあるし、ウェイトリフティングの選手が必ず腰を壊すとか、野球のピッチャーが肘の故障で引退する、なんて話を聞いてると、一つの動作の精度とパワーを極限まで高めていこうとする一流のアスリートの挑戦っていうのは、間違いなく「体に悪い」と思う。

そりゃね、どのスポーツもまんべんなくバランスよくやれば、それはそれで体にいいんだろうけどさ。そんなの時間的にも無理だし、一つのスポーツに集中しないと一流には到底なれない。でもそれって、体の特定の部位の能力を高めることになるから、全体のバランスは確実に崩れると思うんだよね。

サッカーの三浦知良さんとか、野球のイチローさんっていうのは、多分特定の部位だけではなくて全身のバランスをうまく保ちながら、ある特定の運動のパフォーマンスを高めるのが上手なのかな、と思う。でもそんなバランス感覚の取れる逸材なんかそれこそ100年に一人なんじゃないかな。たいていの人はやっぱり、度重なる故障や持病と戦いながら、来年にはもうこの競技を続けることはできないかも、という恐怖に怯えながら、競技生活を続けているんだと思う。

そういうストレスって、確実にアスリートの心をむしばむよね。カヌーの選手がライバル選手の飲み物に禁止薬物を入れた、なんてニュースがあったけど、トップアスリートの熾烈な競争や、脱落した時の喪失感なんかで、心を病んでしまう人も多いと思う。そういうのを見ていると、スポーツって心にも悪いんじゃないかなぁ、なんて思う。

それでも、アスリートが高みを目指すのはなぜか、と言えば、やっぱり遺伝子の中に、自分の可能性を少しでも広げていこうという本能が刻まれているからなんだろうなぁ。人間の願望や思いが遺伝子を変化させるんだろうな、というのは、実証はされていないけど間違いない事実で、戦後の日本人の体形の変化なんか見てると、生活の変化だけじゃなく、西欧人みたいな体形になりたい、という思いが、子供たちの体形をどんどん変化させている感じがあるもんね。自分の子供たち世代の体形なんか見てると、同じ日本民族とは思えない。

トップアスリートは、人間の願望が引き出していく人間の進化の最前線に立っている。だからこそ、その挑戦する姿は人を感動させるし、人間の可能性を拡大させていく姿にみんな期待する。でもね、進化の先端にある人は心も体も病むんだよ。「Xメン」のミュータントたちじゃないけどさ。だから私はスポーツはやらないんだよねぇ、なんて呟きながら、こたつに潜り込んで家に引きこもる私は、進化の最後尾にいる先祖返り人間。最近寒いから木のうろにでも入って冬眠したい。