高田三郎先生のお言葉

今、高田三郎先生作曲の歌曲を練習しているんですが、家でふがふが鼻歌で歌っていると、女房がドカドカとやってきて、高田三郎先生から直接いただいたご指導の言葉をわわわっとわめいてドカドカと去っていく。女房は東北で児童合唱団にいた時や、大久保混声合唱団で歌っていた際に、高田先生に合唱をご指導いただいた経験があるので、いくつか印象に残っているお言葉があって、それを時々教えてくれます。どのお言葉も、大変ありがたいお言葉なんだけど、それを言われてじゃあ歌にしようと思うと一体どうすればいいのだか分からない、という禅問答のようなお言葉。FACEBOOKでその一つを紹介したら結構反響があったので、そのほかに聞いたお言葉も、ちょっと書き取ってみます。ちなみに、高田先生の高の字は略字体で失礼します。
 
・ピアノ
(ある練習ピアニストが前奏を少し弾いた途端)「やめろぉお!!お前のピアノには人生がない!!」
 
・「憎しみのあるところに愛を、争いがあるところに許しを」
「お前たちはここに書かれていることができるか?!できるか!?・・・俺にはできない。できないだろう?だったら、『俺にはできない、俺にはできない』と思いながら歌え!」
 
・「泥の契り 泥のうなずき 泥のまどい」
「泥が『結婚してくれ』というわけだ。泥がそしてうなずくわけだ。そして泥が団らんしているわけだ(『まどい』が『惑い』ではない、というのは有名な話ですね)。しかし俺は『それでいいのか?本当にそれでいいのか?』、と思ってこの和音を書いているんだ!」
 
・「見なさい、これを見なさい」
「何を『見なさい』と言っているか分かっているか?『満ち足りた死』が浜に打ちあがってきた時にどんな姿をしているか分かっているか?ブクブクにふくれあがった水死体だ!ドザエモンだ!その姿を『見なさい』と言っているんだ!(君たちが歌っているような)そんな『見なさい』で、その姿を見ることができるか?!」
 
・「こがれる」
「お前たちは『こがれる』という言葉の意味を知っているか?『こがれる』とは、自らを燃やし続けて燃やし続けて燃えるものがもうないのにまだ燃やそうとすることが『こがれる』ということだ!そう思って歌え!」
 
女房に言わせれば、ご本人は普通にしゃべっているおつもりのようですが、常に語尾が厳しくて、常にけんか腰のようなお言葉で、言われた側はすくみ上ってプルプル震えてしまう、というのが常だったそうです。でもこうやって書き取ってみれば、おっしゃっている言葉の一つ一つがものすごく深い。そうやってぎりぎりのところまで張りつめた表現を追求していった方なんですね。鼻歌で歌っていると、女房が「先生が化けて出るぞ」と脅かしてきます。こわいよー。