「あまちゃん」〜アマチュアだから超えられる、プロだから応えられる〜

あまちゃん終わりましたね〜。女房は三陸出身のバブル世代、というまさに「あまちゃん」のストライクゾーンに位置していることもあり、今朝から完全に「あまロス」状態。ほんとに半年間楽しませていただきました。ちりとてちんカーネーションあまちゃんと、若手脚本家の佳作が連発してますね〜。そういえば、純と愛、なんてのもあったらしいがよく知らない。すみません。梅ちゃん先生、なんてのもあったな。遠い昔のようだが。

あまちゃんを全部舐めるように見た、とは言えない私が、これだけ小ネタの詰まったドラマのことを語ると殴られそうなんだけど、アマチュア楽家やってる身としては、最終週の展開が、アマチュアとプロそれぞれのパフォーマンスへのリスペクトに溢れているところに感動。太巻さんが、みんなの手作りで完成したあまカフェを見て、このアマチュア感覚こそ自分が目指したもの、と言い切った時に、GMTの子達の歌やダンスの下手さが納得できた気がした(あ、失礼)。

プロになりたい才能が全て東京を目指す結果として、東京には中途半端なプロがあふれている。一つ一つの舞台を適当にやっつけでこなす中途半端なプロのパフォーマンスには、技術はあっても熱がない(もちろん、本物のプロはそんなことは絶対しないんだけど)。そういう半端プロへのアンチテーゼとして、我々はガレリア座というアマチュア音楽団体で頑張っている。実際、舞台にかけるアマチュアの熱意が、プロの技術を超える感動を生み出すことだってある。高校野球のひたむきがプロ野球の技術を超えるのと同じ。

東北で何度か演奏会をやった時に嬉しかったのは、我々のようなセミプロ団体のパフォーマンスに対しても、暖かく送られた感動の拍手。それくらい、地方は本物に飢えている。プロの才能や技術が東京に流出する中で、地方を支えるのは、アマチュアの情熱しかない。技術的には未熟でも、一つ一つのパフォーマンスやアウトプットにかける情熱と熱意が生み出す感動で、なんとか地方を支えていいくしかない。たとえ電化されてなくても(ディーゼルだからこそ)早期復旧して走った北鉄の情熱。手作りのあまカフェ、お座敷列車潮騒のメモリーズ。そういうアマチュアのパワーで、被災地を盛り上げていくしかない。それは被災地の抱える現実で、限界でもある。

そういうアマチュアの熱意に対して、プロができることが何かを考え続ける立場として描かれたのが、薬師丸ひろ子演じる鈴鹿ひろ美。どうやったら被災地の人たちに笑顔を届けられるか、考え抜いた彼女の歌は、春子さんが「プロだわ」とうなるパフォーマンスになる。それは、ずっと封印していた歌唱をここで披露しなければ、と踏み込むプロの覚悟への賞賛でもあり、その地元の期待に応えるプロの技術への賞賛でもある。薬師丸ひろ子さんは、デビュー当時、合唱強豪校だった八潮高校のご出身で、透明感あふれる彼女の声には本当に感動したものだったけど、鈴鹿ひろ美として歌われた「潮騒のメモリー」は、ミュージカルもこなせる今の薬師丸さんの円熟の技術を見せつける、本物のプロのパフォーマンスでした。

期待に応えるのがプロ。期待を超えるのがアマチュア。アマチュアの情熱にプロの技術が応え、プロの技術をアマチュアの熱意が支える。お互いの素晴らしさに対するリスペクトが交錯する最終週に、アマチュア楽家として、自分が失ってはいけない熱意、それを支える技術、どちらもしっかり磨かなければ、という思いを新たにしました。なーんて、そんな難しいことを考えなくても、とにかく素敵な楽しいドラマでしたねー。総集編と紅白が今から楽しみ。まだまだあまちゃんは終わらないぞー。みんな東北行こうねー。