色々インプットしてます

またしても米国に来ています。今週1週間で私の荷物を全部整理、会社の残務も整理して、来週からは本格的な日本勤務。

3週間米国を離れてみて、1年半という短期間であったにせよ、海外で「生活する」ことの意味って大きいなぁ、と思いました。海外出張は何度も経験したけれど、海外で「暮らす」ことで見えるもの、身に着くものっていうのは全然違う。何が違う、といって言いにくいのだけど、例えば朝の通勤バスの回数券を買う、とか、バスターミナルを地下鉄の入口まで移動する、といった動線とか、そういう日常の色んな細かいことが身に着くことの意味って、意外と大きい気がする。逆にいえば、私はニューヨークとニュージャージの生活を知ることはできたけど、米国の西海岸、中西部には全く別の生活がある。世界の広さと多様性、という当たり前のことを理解するには、やっぱり色んな土地に暮らしてみるしかない。

さて、今回は例によって、渡米便の飛行機の中で見た映画のことを。今回はさほどたくさんの本数を見ないで、前回中途半端に見た「プリンセス・トヨトミ」をちゃんと見終えたのと、女房に勧められた「The Queen」と「グリーン・ランタン」の3本を見ました。

グリーン・ランタン」は、まぁよくあるアメコミのCG映画化で、ちょっと屈折したヒーローが真のヒーローに成長していく、まぁよくあるハリウッド映画で、まぁ適当に楽しみました。どうもシリーズ化しようと思っているみたいな展開。でもこういう設定って、昔読んだ「レンズマン」に似てるよなぁ。

「The Queen」は、ダイアナ元妃の事故死をめぐる英国王室の苦悩を描いた映画。とにかく、女王を演じたヘレン・ミランが圧倒的。普通のおばさんの格好をして、普通のおばさんの立ち居振る舞いをしているのに、どう見ても女王にしか見えない品格と貫録。ブレアが思わずファンになってしまうのも当然と思わせる威厳。

最近イギリスで起きた大規模暴動も、その種はダイアナの出現にあったのかもしれない、なんてのは極端な感想だと思うけど、古き良きものが世界中でどんどん崩壊していっているんだなぁ、と思います。全面的に歯止めをかけようと極端な保守主義に走ることはないと思うけど、全部否定してしまうのもどうかな、と思うし、どこかで今の人たちの中にも、昔の社会の方が今より幸福だったんじゃないか、という気分が共有されているような気もする。かつてヴィスコンティが執拗に描き続けた貴族社会への哀悼と滅びの美学とはかなり趣を異にしていて、どちらかというと、哀悼よりも、閉塞感の高まる現代に対する抗議やアンチテーゼの提示として、過去の倫理や風俗を提示している感じがしました。

話は全然変わって、始まったばかりの朝ドラ「カーネーション」が好調。何よりも、大正時代の日本の風俗が丁寧に描かれているのがよい。ここでも、懐古趣味と言われてしまうかもしれないけど、古い=悪い、じゃなく、古いものを見直さないか、という機運がある気がするんだよね。

ゲゲゲの女房」があれだけ評判になったのも、昭和30年代への懐古趣味が大きな要素だったと思います。主義主張、というのではなくて、趣味や生活、といった些細なことの積み重ねから、かつての時代の幸福が見直されてこないかな、なんて思う。それこそ、ゴミの捨て方とかバスの乗り方、なんていった生活レベルのところから、昔の生活をもう一度見直してみたら、意外な幸福の種が見つかるかもしれない。利便性や合理性だけを追求していくことで見失ってしまったものが見つかるかもしれない、なんて思います。