Cliffside Parkご紹介パンフレット

娘の学校の宿題で、自分の住んでいる街の紹介パンフレットを作りましょう、という宿題が出ました。NJの各地から子供たちが集まっているので、色んな街の紹介パンフレットが出来上がることになります。娘が、自分の住んでいるCliffside Parkという街について調べたい、というので、ネットなどを使って色々調べてみました。

まずは街の基礎情報。面積は2.5平方キロ、というから、調布市(大体22平方キロ)の10分の1くらいです。娘に言わせると、調布市はその中に、上石原とか下石原、という細かい区分があり、さらにそれが1丁目・二丁目、と分かれているけど、Cliffside Parkはそのまま、Anderson AvenueとかGorge Avenue(日本でいえば一丁目・二丁目、みたいなものか)につながっていく地名だから、「街の名前がカバーする範囲が違うんだよ」との見解。なるほど、道理である。

人口は約23000人、と、これもほぼ調布市の10分の1。緑の割合とかも似通っているのかもしれません。人口に占める人種の割合がWikipediaに出ており、それによれば、

77.85% White, 1.83% African American, 0.25% Native American, 12.05% Asian, 0.02% Pacific Islander, 4.97% from other races, and 3.02% from two or more races. Hispanic or Latino of any race were 18.16% of the population.

とのこと。スペイン語圏の出身の人が多い、というのが一つの特徴で、現地校で英語に触れさせたい、と思う日本人の親が、Cliffside Parkを選ぶのを躊躇する一つの理由にもなっているらしい。我が家は、日本人学校、という基本方針があったので、そこは気にならなかったのですが。

市のホームページのトップページを見ると、「ジョージ・ワシントン・ブリッジとリンカーン・トンネルの双方に近く、マンハッタンに通う人たちのベッドタウンになっている」という記述があります。街の中心を通っているAnderson Avenueは、たくさんの個人商店やスーパが並ぶメインストリートになっており、地元の人は、ただ「The Avenue」という名前で呼んでいるそうな。「大通り」ってことですね。

氷河が削り取ってできたハドソン川に面して、急な崖がそびえ、その崖の上に位置している、というのが、Cliffside Parkの名前の由来です。


こんな崖の上に街があります。

マンハッタンから我が家の方向を眺めると、ひときわ目立つ高層マンション群が見えます。Winston Towerと名付けられたマンション群で、崖の上からハドソン川を一望できる高層かつ高級マンション群。


マンハッタンからはこんなふうに見えます。

今回の娘とのCliffside Park調査でちょっと感動した街の歴史が、このWinston Tower群の成り立ちについての歴史。このWinston Towerのある場所には、かつて、「Palisades Amusement Park」という大きな遊園地があったのだそうです。創立1898年、1907年にはCliffside Park市がオーナーになって、Palisades Amusement Parkという名前となり、大規模遊具を多数追加。開園の日には、周辺住民の半数近くにあたる3000人の人たちがおしかけたそうな。マンハッタンから近い便利さもあり、World's Greatest Amusement Resort(アメリカでもっともイカした遊園地)と呼ばれたこともあったのだそうです。


昔の絵ハガキかなにかの写真。上の現在の写真とみると位置関係が分かります。立派なもんだよねぇ

ブルックリンにあるライバル遊園地のコニーアイランドがビーチと遊具を売りにしているのなら、ビーチを園内に作ってしまえ、と、1913年には世界最大の屋外海水プールを建設。120メートル×180メートルの巨大プールでは1万人が泳ぐことができ、水はハドソン川からくみ上げたのだそうです。とんでもなく人気のある読売ランドみたいなもんだねぇ。ちょっと失礼だね。

しかし、人気が出過ぎた反動で、近隣の住民から、来場客のゴミのポイ捨てや、慢性的な交通渋滞に対する不満が募り、1967年、遊園地は閉園。その跡地に建てられたのが、現在のWinston Tower群なのだとか。

でも、この遊園地で遊び、育ったかつての子供たちの思い出は尽きず、開園から100年後の1998年、Winston Towerの入り口に、遊園地をしのぶ記念碑が建てられました。

記念碑には、"Here we were happy, Here we grew"と彫られており、記念碑を囲む赤いレンガには、献金者のメッセージ(In Memory of my happier time、などと書かれている)が刻まれ、それ以外にも、Water Cooster、Cotton Candy、Fly to the Mars、といった遊園地の色々な遊具の名前や、楽しい思い出が刻みこまれています。


一つ一つを見るとちょっと泣けてくる。

遊園地の思い出を語り合う団体もあるらしく、立派なフォト・ギャラリーなどで遊園地を疑似体験できるウェブサイトもあります。

こちら→http://www.palisadespark.com/index.php

閉園したのはもう40年以上前ですから、ここで遊んだ子供たちは、もう60歳前後になっているはず。それでも思い出を語る人たちが絶えない、というのは、本当にNYっ子に愛された遊園地だったんですね。娘の課題を手伝っているうちに、思いがけなく心に響く街の歴史を見つけることができた週末でした。