利便性と人間性

長期出張からやっと帰米。木曜日に戻ってきて、金曜日に出社、たまりにたまった書類を処理して、米国での久しぶりの週末を過ごす。のんびり、というわけでもなく、在宅の仕事もかなりあるのだけど、やっと自分のペースを取り戻せた感じ。

東京では、大企業特有の無責任体制(そもそも誰が何に責任を負っているのかが不透明になるように作られた制度が多い)から来る仕事のストレスが大きかったのだけど、環境のストレスも大きかった気がする。こちらに戻ってきて、ニュージャージ・ターンパイクを車で飛ばしていると、広い広い空にぽっかり浮かぶ雲の形を何かになぞらえたりする、そんな子供の遊びを心の中で楽しめたりします。東京には空がない、と言ったのは大正時代の人だったけど、東京では、空がないのではなくて、空を見上げる心の余裕がないのかもしれないね。極端なまでに利便性を高めて、世界中の様々なソフトをどっぷり抱えて、地上にすべての刺激を集めた結果、空を見上げる余裕をなくした人間が、肝心の人間性を失っていくような、そんな感じ。

米国の生活は不便に満ちているんだけど、そういう不便とか無駄を極力削ぎ落としていくと、なんだか恐ろしく非人間的な街が出来上がってしまった、ちょっとそんな気がしないでもない。