「けせん第九を歌う会」〜結び目としての第九・ホール〜

女房の実家のある岩手県大船渡市に、昨年11月、市民の念願だった市民文化会館「リアスホール」が完成。そのこけら落としの企画、ということで、はるばる行って歌ってまいりました、「けせん第九を歌う会」の第九演奏会。色んな意味で、水際立った演奏会で、120%大満足の演奏会になりました。夜行バスで体中バキバキになりながら行ったかいがあったよぉ。

まずは「リアスホール」。これが本当にいいホールでした。地方都市の市民文化会館としては、かなり「トガ」った前衛的な建築物です。三陸海岸の波に洗われた岩をイメージした、という灰色の巻貝のような形状の外観。内部も、波が穿った洞窟のように入り組んでいて、迷宮のようなワクワク感があります。横浜の赤レンガ倉庫を再生した建築家の方の作品、とのことで、東北の小さな(といったら失礼だが)街にこんな先鋭的なホールが出来上がったことにまず驚く。

ホールの二階には市民図書館があって、これも細い回廊の両脇に本棚がどこまでも連なる、知の回廊、といった趣の不思議なスペース。「ファクトリーゾーン」と名づけられた市民参加イベント用スペースも充実していて、和室、会議室、そして多目的に使える「マルチスペース」という空間など、ここで何して遊ぼうかしら、と色々と夢が膨らむ。事務室にお邪魔して、色んな図面をいただいてきました。その担当者の方が、「マルチスペースは壁を取り払って、外にある池の水を抜いてしまえば、屋外と完全につながるんです。屋外イベントと屋内イベントを一緒に開催することもできるんですよ」と、ちょっと誇らしげに教えてくれる。事務室も、天井がすごく高く、奥は吹き抜けになっていて、働く人にとても優しいスペースに見えました。都内の文化会館の事務スペースとか、取調室みたいな場所が多いのに、恵まれた事務室だなぁ。

そして、大ホール。1100人収容の客席の椅子は、海をイメージした曲線と青のグラデーションでデザインされていて、舞台面から見るととてもきれいです。せり出した二階席や三階席からは、舞台面がとても近く見える。この二階席や三階席が、舞台面から見ると、大船渡湾に入港してきた船や湾の中の岩などのように見えるように設計されているそうな。奥行き7間、間口6間の舞台面も十分な広さで、舞台袖もとっても深い。客席の前の3列をとりはずせば、ピットも切れる。あんなこともできる、こんなこともできる、とワクワクする。

そして演奏会。伴奏は、山下一史先生率いる仙台フィル。こういう市民参加の第九では、第二楽章が終わったところで、ソリストと一緒に合唱団がぞろぞろと入っていく、というのが多いと思うのですが、今回は、合唱団が250人以上と多く、ひな段がものすごく高く作ってあったので、入場に3分以上時間がかかる。従い、第一楽章から入ってスタンバイする、ということになりました。おかげで、サントリーホールのP席で演奏を楽しんでいる気分で、山下先生の指揮と仙台フィルの演奏を十二分に堪能してしまいました。終演後に山下先生もおっしゃっていたのだけど、第一楽章・第二楽章・第三楽章ときちんと聞いておくと、それを全否定して立ち現れてくる第四楽章の歓喜の歌を歌う意味が見えてくる、というのを改めて実感。ソリストの先生方(Sop:土井尻明子、Alt:菅野祥子、Ten:澤田薫、Bar:小原一穂)のバランスもよかった。客席は立ち見も出るほどの超満員で、第一楽章の終わりから拍手が出るほどの盛り上がり。最後は合唱団員も含め、会場の全員の拍手が鳴りやまない、とても素敵な演奏会になりました。

今回、市民合唱団の第九のお手伝い、ということで、割と気軽な気持ちで行ったのですが、1ヶ月くらい前に、「みんな暗譜してるから」と言われてビビる。今回初めて第九を歌う、というおじいさまおばあさま方も多い、と聞いていたので、てっきり譜持ちでいいとタカを括っていて、慌てて楽譜を見直す。大学生の時に一度暗譜して以来で、ちょっと歌詞が危ない。昨年のお手伝い演奏会の時も譜持ちだったから、しっかり覚えていない。それでも、リハーサルに入るまでは、「さすがに全員暗譜できてなんかいなくて、多少は譜持ちの人もいるだろう」なんてかすかな希望を持っていたのだけど、リハーサルに行ってみれば全員カンペキに暗譜で歌っている。こちらも譜面を見ながら歌うこともできず、恐る恐る歌ってみれば、案の定何箇所かが綱渡りになる。綱渡りどころか、数箇所では完全に綱から落ちている。ヤバイ。ヤバすぎる。

もう一つ驚いたのが、男声合唱の充実度。プロの声楽家の助っ人を呼んでいるわけじゃないのに、後ろからものすごいいい声がバンバン聞こえてくる。私が多少間違えても全然問題ない。そういう意味ではかなり安心する。全然手伝いになってない。聞けば、釜石市でも毎年やっている第九の会があって、そこからかなりの男声陣が来ているとのこと。盛岡や陸前高田、そして高田高校や大船渡高校の高校生たちも加わり、岩手県の様々な地方や、遠く東京からも(僕らだ)人々が集い、声を合わせての演奏会になりました。プログラムの「出席者名簿」に、団員の名前の後ろに(大船渡市)といった感じで、どこから来た人かが書いてある、というのも、大船渡を中心とする人の輪で成り立っている演奏会なんだな、という感じがしました。

何より感心したのは、スタッフさんたちの水際立った運営ぶり。まず行って驚いたのは、リハーサル室代わりに使われていた「マルチスペース」の床に、「7−1」といった数字を書いた養生テープが貼ってあること。そのテープを見れば、団員さんの並び列がすぐ分かるようになっている。仙台フィルの方々の控え室の前には、「仙台フィル 男性控室」というよくある案内の紙が貼ってあるのだけど、その脇に、きれいなイラスト付の紙で、「ようこそいらっしゃいました」と書かれた紙が貼ってある。合唱団の控え室の側にはポットが置いてあって、常に温かい麦茶とかが飲めるようになっている。

勿論、初めての試みですから、オーケストラとの連絡が上手くいかなかったり、スタンバイがちょっと早すぎて廊下で待ってる時間が長かったり、とか、多少の混乱はありました。でも、そんなことが全然気にならないくらい、裏方のスタッフさんたちの、出演者に対する色んな気配りが素晴らしくて、とてもいい気分で歌いきることができました。

No.3ギャラリーでやった「蔵しっくこんさーと」の時にも思ったのですけど、三陸の人たちの「もてなし」の心意気なんですかね。終演後、全員でリハーサル室に戻って、まずはお茶で打ち上げの乾杯、というシメの段取りも垢抜けていて素敵だったなぁ。女房に言わせると、三陸合同で昔やっていた合唱祭があって、その運営のノウハウがまだ生きている、という部分もあるようですけど、それにしても、東京の市民合唱団でも、運営スタッフの不手際で結構不愉快な思いをすることもあるのに、実に爽やかな気分にさせてもらえました。

第九の歌詞に、「Deine Zauber binden wieder, Was die Mode streng geteilt, Alle Menschen werden Brüder, Wo dein sanfter Flügel weilt.(あなたの魔法の力は再び結びつける/世の中の時流が厳しく分け隔てていたものを/全てのひとは兄弟になるのだ/あなたのその柔らかな翼が憩うところで)」という歌詞があります。演奏会の前に手に取った第九の解説本に、「フランス革命では、人々は様々な革命歌の元に集い、連帯の気持ちを強くした、その時代背景が、歓喜の歌には反映されている」という文章がありました。第九という歌自体が、色んな世代、立場を超えて人々を結びつける音楽の力を、極めて分かりやすく示しているもの、という気がします。一緒に歌った皆さん、仙台フィルの皆さん、客席を埋めた大船渡の皆さん、そして、この演奏会を支えたスタッフの皆さん、貴重な場に立ち合わせていただいて、本当にありがとうございました。産声を上げたばかりの「リアスホール」という場所が、様々な人々を結ぶ結び目として、「柔らかな翼の憩う場所」となりますように、そして、第九の音楽によって結ばれた人のつながりが、これからも長く続きますように。心から応援しています。