「大丈夫だよ」とささやき続けよう

昨夜、夜中の二時くらいから、多摩エリア全域を雷雨が襲う。3時くらいに落雷の音で目が覚めると、そのまま1時間以上、雷が鳴り止むことがない。女房も娘も目を覚ましてしまって、家族3人で雷に怯えながら、身を寄せ合って横になっておりました。

娘は大きな雷が鳴るたびに、パパやママにしがみつく。「太鼓の好きな赤鬼さんが世界中から集まってコンテストやってるのかなぁ」なんて話をする。大きな雷が落ちると、娘が、「今の人、一番?」と聞く。「ウチに雷落ちたりしない?」と聞かれて、「大丈夫だよ、雷はもっと高い建物に落ちるんだ。高い建物には避雷針っていうのがあって、雷を地面に逃がすんだよ」なんて話をする。

そうやって、子供に、「大丈夫だよ」と言い聞かせながら、ふと、自分自身、本当に大丈夫かどうか、ということにまるで自信を持てないでいることに思い至る。何と言っても、女房にせよ私にせよ、1時間以上雷が自宅のすぐ近くで鳴り続けている、なんていう経験はありません。40年以上生きていて、生まれて初めての経験です。我が家に雷が落ちない、なんて、本当に確信を持って言えるわけもない。雷が落ちないまでも、多摩川が決壊すれば、我が家の近辺も水浸しです。水害にあった経験もないから、どう対処していいものかも分からない。

生まれて初めての経験に対して、43歳の大人も、8歳の子供と同じようにただ怯えるしかない。それでも大人は子供に対して、頭だけの知識を総動員しながら、「大丈夫だよ」と言い聞かせるしかない。経験による裏づけのある「大丈夫だよ」と違って、その「大丈夫だよ」のなんと頼りないことか。

自然がこれだけ壊れてしまって、大人にとっても経験したことのない牙を剥くことが多くなってくると、こういう局面って増えてくるのかもしれない。もちろん、昔から、そういう災厄にさらされた親子の悲劇は、世界中で何度も繰り返されてきたことなんだろうけどね。関東大震災東京大空襲ヒロシマナガサキ阪神淡路大震災。様々な未曾有の天災・人災の渦中で、無数の「大丈夫だよ」という言葉が、震える唇から発せられたはず。全てを破壊尽くす巨大な暴力の中で、小さな子供に、大人自身が、恐怖に震えながらささやく、「大丈夫だよ」という言葉。その言葉ほど、人間の無力を表す哀しい言葉はない気がする。

それでも、親は子供に対して、「大丈夫だよ」とささやかないではいられない。子供の恐怖を少しでも軽くしてあげるために。自分自身がパニックにならないよう、自分自身に言い聞かせるように。「大丈夫だよ。大丈夫だよ」と。その言葉がつなぐ親と子の絆ほど、太く強い絆は世の中にはない。

1時間以上の雷の咆哮は、特大の落雷の地響きと共に、急速に去っていきました。娘はやっとほっとした顔で、「最後の人が一番だったね」と呟いて、すぐに眠りにつきました。この子に、本当に確信に満ちた「大丈夫だよ」を告げてあげられるように、毎日が平和で平穏でありますように。大雨の被害に遭われた方々にも、平和と平穏が再び訪れますように。