「四季・ユートピアノ」〜救済としての「音」〜

今月、日本映画チャンネルで、佐々木昭一郎演出のTVドラマを特集しています。片っ端から録画していますが、その中から、先日、「四季・ユートピアノ」を見なおす。

佐々木昭一郎、という演出家に出会ったのは、「川の流れはヴァイオリンの音」という、川シリーズの3番目の作品を見たのが初めてでした。いわゆる映像表現に興味を抱き始めた高校生くらいの頃、身近にいた同じ趣味の友人に、「お前は佐々木昭一郎を知らないのか?」と、上から見下ろす視線で言われたのが悔しくて、TVにかじりついて見たのです。そういう意味では、かなり不純な出会いだったと思う。

その後、NHKアーカイブスなどの再放送枠で、佐々木作品の特集をやったり、新作が放送されたり、という機会を捉えて、いくつかの作品を見ました。デビュー作の「マザー」の衝撃。「川」シリーズの叙情。「東京on the city」「クリーバの木の下で」あたりになると、佐々木演出の文法そのものが陳腐化してきていて、ちょっとマンネリに陥りそうな感じがしたのだけど、その後、「ヤン・レツル物語」を見て、この演出家はやっぱりタダモノではない、と思った。ドラマともドキュメンタリーともつかない即興詩のような佐々木演出の文法も魅力的なのですが、「ヤン・レツル物語」のような正統派のドラマでも、奥行きのある素晴らしい作品に仕上げてしまう。同じ明治の来日外人を扱っても、ジョージ・チャキリスが小泉八雲をやった「日本の面影」なんか影が薄くなってしまうくらい、衝撃的に素晴らしい作品だった。名匠ってのは、ほんとにジャンルを選ばないんですねぇ。

そうやって、いくつかの佐々木作品を見ているのだけど、中でも、「四季・ユートピアノ」は一番好き。「川」シリーズですっかり魅了された栄子さん(演じるのは中尾幸世さん!)の生い立ち(厳密には「川」シリーズの栄子さんとは別人なのだけど)が語られている、という内容にまず魅かれる。栄子さんシリーズの出発点、という感じですね。

「川」シリーズでもそうだったのだけど、中尾さんを使った一連の作品で、佐々木さんは、「音」と人との関係性について繰り返し語っている気がします。「音」は、人と人とをつなぐものであると同時に、人にとっての救済になるものでもある。

初めて「四季・ユートピアノ」を見た時、栄子さんが遭遇する数々の試練に、ある意味ショックを受けた記憶があります。戦争の記憶に押しつぶされる父親や、家族の死。天涯孤独となって、水商売にまで身を落としながら、東京に出てきてピアノ作りの道を歩んでいく少女の物語。やっと勤めたピアノ工場がつぶれたり、弟子入りした調律師の爺さんが失踪したり、友人が死んだり、とにかく悲惨と不条理に満ち満ちたお話。なんだけど、見終わった後のこの爽快感はなんだ。

なんだ、と問えばその答えは、なんといっても、栄子さんの穏やかな笑顔のせいなんです。どんなに悲惨な、どんなに辛い目にあっても、栄子さんはいつも穏やかに微笑んでいる。涙を流しながらも、唇の端には静かな微笑みが残っている。その表情の柔らかさ、優しさ。演じている中尾さんの魅力も勿論なのだけど、これだけの悲惨な境遇にあっても、彼女を微笑ませているものは何なのだろう。

初めて見た時には、その答えを見つけることができずにいました。西洋人が見れば、東洋的なアーカティック・スマイルだ、なんてことで納めてしまうのかもしれないけど、日本人の我々から見ても、あまりに謎めいた微笑み。その微笑に、どこかで釈然としない思いがずっと残っていたのだけど、先日もう一度このドラマを見直してみて、それってやっぱり、「音」のおかげなんじゃないかなぁ、という気がしました。栄子さんの中に鳴り続けている音楽。子供の頃に、兄さんが学校のピアノを叩いて聞かせてくれたAの音。その音の響きが、栄子さんの中で、常に心のよりどころになり、どんな境遇にあっても気持ちの支えになり、救済になっているんじゃないだろうか。

勿論、音の力は、そんな善の力だけには限らない。ドラマの中では、人を押しつぶしてしまう音の暴力についても語られます。戦争の記憶を呼び覚ます音に怯える栄子さんの父親はその典型例だし、「川」シリーズの中でも、恐怖に充ちた音の記憶が回想されるシーンがありました。でも、栄子さんの体の中に鳴り続けているのは、ピアノが鳴らしたAの音であり、浜辺で拾った音叉のAの音。音のものさし。体の中に、確固たる基準音、自分の立ち戻ってくる基本の音を鳴らし続けている人の強さ、穏やかさ。栄子さんの微笑みを通して、佐々木さんが表現したものは、そういう「音」を持っている人の強さ、そういう強さを人に与えてくれる「音」の力、だったのかも、という気がしました。

以前から、何度かこの日記にも書いているのだけど、人間にとって世界は不条理に充ちている。その不条理に充ちた世界において、救済や、秩序や、幸福を人にもたらしてくれるものは沢山ある。その中の一つの大きなものが、「音」であり、「音楽」であるとするならば、「音楽」を表現手段として舞台活動をしている我々の存在意義もそこにある。そうやって見ると、栄子さんの穏やかな微笑みに、不条理と不幸に充ちたこの世界に対して、決然と自分の「音」を守り続ける表現者の矜持のようなものも感じるのです。

日本映画チャンネルのこの特集では、佐々木昭一郎さんを囲んでの当時のスタッフの対談番組も放送されていて、中尾さんもご出演されていました。もうかなりのお年だと思うのだけど、ドラマに出演されていた頃と変わらない、あるいは少しすっきりして、もっと美しくなられた感じ。穏やかな笑顔と、落ち着いたアルトの声は全然変わっていなくて、本当に素敵な方です。まだ初主演作の「夢の島少女」を見てないんだよなぁ。今回録画したから、早く見なければ。

それにしても、初演出作品である「マザー」を見ても、よくこんなみょーな演出家のみょーな作品を全国ネットで放送したよなぁ、と思います。佐々木昭一郎作品や、三枝健起三枝成彰のお兄さんで、「安寿子の靴」「もどり橋」などの演出家)作品といった、ほんとに訳分からん実験的な作品を堂々と放送するNHKという組織の懐の深さ?には感心する。NHK改革論がかしましく論じられていますし、「娯楽番組は民営化するべき」なんてわけの分からんことをおっしゃる方もいらっしゃいますけど、こと芸術、という分野そのものが人生にとってのムダであり、そのムダが人生に救済をもたらすのであれば、あんまりガチガチにNHKを束縛してしまって、ゆとりやムダを削ぎ落とすのも如何なものなのかしら、なんて思っちゃいます。そりゃ公金横領されるのは困るけどさ。