スポーツも芸術も厄介だよねぇ

トリノ五輪、日本選手の苦戦が続いていますよね。長野五輪の時のあの盛り上がりを知っているだけに、なんとも残念な気がしますけど、やっぱり根底には、長期的な選手育成体制が構築できていなかった、という点があるような気がしてならないんだけど、違うかなぁ。

長野のメダルラッシュ、というのは、長野五輪に向けて、相当前から選手の育成や施設の充実など、お金と時間をかけた準備態勢が整っていたことが、要因の一つに挙げられていた記憶があります。長野での五輪開催が決定したのは、まさにバブル絶頂期。決定後すぐにバブルが崩壊しながらも、五輪に向けた準備態勢にそれなりの予算をつけることができた。極論すれば、長野五輪というのは、バブルの遺産の最後の輝きだったのかもしれない、なんて思います。

もう一つの要因として、冬季五輪の選手を輩出する、いわゆる「北国」が、日本経済の中で相対的・絶対的に地盤沈下を起こしている実態も反映している気がする。景気は回復基調にある、なんていいますけど、関東・東海地区を除く地方経済の凋落は悲惨なもんです。スキーにせよスケートにせよ、そういう「凋落する地方」に競技人口が多いスポーツなのじゃないだろうか。そして、「凋落する地方」は、彼ら競技者を支え、育てるだけの地力を失ってしまっている。冬季五輪の中でも実力のある選手が集中している女子フィギュアにおいて、スター選手の安藤美姫と、五輪には行けなかったけど実力的には日本一の浅田真央が、共に、経済的に日本で最も元気のある名古屋市の出身であることは、決して偶然ではない気がする。

先日、「カルメン」の舞台をご一緒した音大の学生さんが、「景気のよしあしで、入学者数が如実に変化するんですよ」とおっしゃっていました。景気がいいと、声楽科の学生さんが増える。悪いと減る。すごく分かりやすい動きをするそうです。つまるところ、スポーツも芸術も、経済の動きを極めて敏感に反映するものなんですね。

でも、スポーツも芸術も、数年単位で変動してしまう景気動向とは無縁のところで、十数年、数十年の単位で活動を継続しないといけないもの。そういう長期的な視野にたって、パフォーマーを育て、施設を維持し、環境を整え、そしてさらに、継続的に表現の場を維持していかなければいけないもの。付け焼刃では決して成果が出てこないものなんですね。

芸術の場合はさらに厄介で、「国産」ということにこだわる理由が希薄だったりする。スポーツの場合には、日本中が日本人選手を応援し、そこにビジネスも生まれますけど、例えば、日本人のオペラ歌手よりも、外国のオペラ歌手の方が、日本での演奏会で金を稼ぐことができる。オペラなど、もともとが海外から輸入された芸術は、「別に時間とカネをかけて国産オペラなんか育てなくっても、外国で既に完成されている舞台を輸入すればいいし、その方がビジネスになるじゃん」という環境から逃れられない。

数日前の日記にも書きましたけど、経済が、もっと文化や芸術を「理解」して欲しい、というよりも、「参加」して欲しいと思うんですがね。一部上場の大企業の経営者が、オリンピックに出場してメダルを取っちゃった、とか、スカラ座でオペラデビューした、なんてことになったら、すごく楽しい話だと思うけどねぇ。ありえない話だとは思うけど、例えばそういう企業人がいたりしたら、経済とスポーツ、経済と文化の関係も、もっと良好なものになるような気がするんだけど。