アマチュア合唱団は常に全力投球でなければ

プロの声楽家の方々をソリストに招いての演奏会。練習の時、時々肩透かしを食ったような気分になることがあります。多くのプロの方々は、練習ではフルボイスで歌いません。演技も、あまり本気での演技ではなく、割と「気を抜いた」お芝居をする方が多い。でも、いざ本番となると、一気にギアがトップに入り、素晴らしい声と素晴らしい演技で舞台上の我々まで圧倒してしまう、ホンモノの歌い手さんはそういう切替が本当に上手です。

でも、練習の時でも全力投球の方もいらっしゃって、これは本当に人それぞれのようです。今回、大田区のオペラ合唱団でご一緒するドロシキンさんなんかは、どの練習でも本気モードのフルボイスと熱い演技で、その場の熱をぐっと上げてくる。以前、TCF合唱団の「カルミナ・ブラーナ」で拝聴した佐竹由美さんも、練習の時から軽々と超高音をひゃんひゃん出してくる。来日したロックバンドが、リハーサルで本番さながらのステージを繰り広げて、スタッフに、「なんでリハーサルでそんなに本気なの?」と聞かれて、「オレたちはいつでも本気だ!」と返してきた、なんて話も聞きました。

外国人歌手は練習で手を抜かない、なんてことは別になくて、以前クラシカジャパンで見た、スカラ座ヴェルディ・レクイエムのリハーサル映像では、ソプラノ歌手が1オクターブさげて歌ってました。繰り返しになりますけど、人それぞれ。でも、こういうプロの方の「調整」方法を、アマチュアの合唱団が真似しちゃうのは、大間違いなんじゃないかな、と思います。

プロの方、それもソリストの方、というのは、自分の最高の状態、自分の理想の状態、というのがわかっている方々です。しかも、基本的には自分の声だけで勝負してくる。個人技なんですよね。100メートル走なんかと同じ。100メートルの選手が、競技会の本番前に、本気で何本も全力疾走しちゃったら、本番持たないですよね。歌い手も筋肉仕事ですから、声帯を温存しつつ本番に向けてテンションを上げていく、事前の「調整」作業が不可欠。そうやって、自分の「理想形」に向けて仕上げていく。

でも、合唱というのはアンサンブルです。しかも、アマチュア合唱団というのは、それぞれの人が、自分の声の理想形をきちんと持っているとは限りません。本番さながらの練習の空気や、周囲のテンションの高さに押されて、自分でも思ってもいなかったすごい声が出る、なんてのは、アマチュアの方なら誰でも経験したことがあると思います。女房がよく言う話で、「素晴らしい声の人が1人、あるパートに加わると、+1の声じゃなくて、+10くらい声が変わることがある」。声の出る人の声に押されるように、普段出なかった人たちの声が出てくるんですね。

言ってみれば、100メートル走の練習なら個人個人で調整が可能だけど、組体操やシンクロナイズドスイミングの団体競技みたいなものだと、練習の時点からちゃんとパートナーたちがある程度全力を出してこないと、バランスが見えない、ということなんじゃないか、と思います。実際、ソリストの方々も、重唱などのアンサンブルになると、手を抜くことは少なくて、フルボイス同士でぶつけあうことが多いように思います。

以前、故辻正行先生が、本番を2週間前に控えて練習指導されているのを見学したことがあります。一通り終わって、一言二言コメントされた後で、必ず、「あと、ソプラノには誰が来るんだっけ?」「このフレーズ、xxさんとyyさん、ソプラノじゃなくてアルト歌ってくれる?」「テノールは今日誰が休んでいるの?」なんていう、「メンバー調整の時間」が入る。それに相当の時間を費やしている。「この状態のこのパートに、この人の声を加えれば、こうなるだろう」という結果まで全部見越して、合唱団の理想形を作っていく作業。団員の一人ひとりの声を充分に把握している正行先生だからこそできるシミュレーション。

そういうバランスや、高いテンションで成り立っている部分の多いアマチュア合唱団のアンサンブルは、一人が気を抜いたり、テンションを下げてしまったり、誰かが練習に来なかったりすると、途端にがたがたになってしまったり、全然異質のものになることがあります。逆に、全員のテンションが上がって、一つの凝縮した空気を作りだすと、プロの舞台にもない熱気のようなもので、観客ごと根こそぎ持っていくような、迫力ある舞台を作ることもある。

そうなると、アマチュア合唱団の練習というのは、毎回毎回が、そういうテンションをどうやって作っていこうかを試行錯誤する作業になるんです。おのずと、全ての練習は、全てが「本番」になっていく。そこでヘンに、プロの先生方を真似したような「ちょっと今日は本気出さないでやってみよう」なんてナメたことを言っていると、全部ぶち壊しになってしまうことが結構ある気がします。

そうやって、すごく密度の高い練習を重ねていくと、ある瞬間に、「あ、これだ!」と思う瞬間があるんです。それは、声のポジションであったり、母音の形だったり、といったテクニック的な問題であることもあるけど、多くの場合、練習会場全体を包み込む「空気」が変わる瞬間です。この「空気」、この「雰囲気」を作ればいいんだ!という瞬間。それがつかめると、あとはその「雰囲気」を再現させるにはどうしたらいいのか、ということを、やはり本番さながらの練習を積み重ねながら定着させていくしかない。

先日の練習で、小松先生が、「我々は、舞台という、一過性のライブで成り立っている表現を作ろうとしているんです。ライブの命は空気です。緊張感に充ちた空気、楽しげな雰囲気に満ちた空気、悲嘆にくれる空気。音楽を作ろう、と思っちゃいけない。空気を作ろうと思わなきゃ」とおっしゃっていました。激しく激しく同感。手練手管に長けたプロの方と違って、アマチュアの我々は、ひたすら地道に、毎回の練習を真剣勝負で積み重ねることで、そういう「あるべき空気」を探していくしかない。ヘンにプロの真似をして、「本番に備えてちょっと自重するね」というセリフは、自分の体調と相談しながら言ってもいいセリフではあるけど、それで練習会場の空気を冷まさないように、別のところですごくパワーを使わないといけない。基礎力のないアマチュアのテンションは簡単にボロボロ崩れてしまいますから、練習会場は常に、いい意味での緊張感が不可欠だと思います。緊張しすぎてもいけないから、塩梅は大事だけどね。