年中行事

明けましておめでとうございます。今年も、あいも変わらず、くだらない独り言を綴っていきたいと思います。

さて、年末年始といえば、各家庭で決まった年中行事が行われるものだと思います。でも、この年中行事、本当に毎年毎年全く同じことを繰り返しているか、といえば、そうでもない気がする。家庭の状況というのは、5年・10年で随分変化するもの。子供が出来れば、行動パターンは変わるし、結婚だの病気だので家族の構成員が変われば、変化は必然ですよね。毎年ここに初詣に行く、と決めていたって、子供が熱を出せば行けない年だってある。結婚して、結婚相手の実家に年初の挨拶に行くことが、今までの年中行事に取って代わることだってある。

でも、そういう変化の中で、「年末年始、これだけは欠かさずやりたい」という、絶対に譲れない行動パターン、というのがある。注連飾りを玄関先に飾る、とか、年賀状は必ず書く、とか。それをしないと落ち着かない、それを抜かすと、年が明けた気がしない。そういう核になる行動の中に、自分のこだわり、というか、各家庭のこだわりのようなものが見えてくる。それを「家風」というのなら、年中行事というのは、自分の家庭の「家風」を確かめる儀式なのかもしれません。

紅白歌合戦、ついに視聴率が40%を切った、と話題になっています。ソフトとしての魅力がどんどん下がっている中では、必然のように思います。実際、マツケンサンバ以外にはほんとに見所もないし、セットも貧弱だし、演出もしょぼい。つまらん番組でした。これだったら、昨夜放送されていた、ニューイヤーコンサートの方が、よっぽど見ごたえがあった。セットも豪華で演出も素晴らしい。チョン・ミュンフンの指揮もすごかった。サロメの演奏では冒頭からぐいっと持って行かれるような衝撃がありました。

でも、紅白の視聴率の低下、という現象の中に、日本人の大多数を惹き付けるキラーコンテンツの不在、ということを見るだけなら、まだいい気がする。言い換えるなら、家族全員が年末年始に集まって、同じブラウン管を見ているのであれば、見られている画面が、K−1だろうが、紅白だろうがいい気がするんです。そこで、家族が一体となって、同じ興奮を共有し、家族としての一体感を確認する場があるのなら。

なんとなく嫌な感じがするのは、紅白の視聴率の低下の裏に、家族が集っていない年末年始の姿が垣間見えること。子供は子供部屋で、父は書斎で、母は台所で、それぞれの部屋にこもって好き勝手な番組を見ている。そこに、「家風」を確かめる家族の姿はありません。家族の姿自体が崩壊してしまっている。

自分の家庭は、そういう家庭にしたくないなぁ、と思うものだから、我が家の年末年始は、沢山の「年中行事」でてんこ盛りです。娘が大きくなっても、こういう年末年始の行事だけは、なるべく変えないで続けたいなぁ。鬱陶しがられるかもしれないけど、そんなことを思っています。