加藤健一事務所 「バッファローの月」〜劇団を維持すること〜

今日は、22日の金曜日に見た、加藤健一事務所の「バッファローの月」の感想を書きます。

作/ ケン・ラドウィッグ
訳/ 小田島恒志
演出/ 久世龍之介

キャスト/
ジョージ・ヘイ ・・・・・ 加藤健
ポール ・・・・・ 畠中洋
シャーロット・ヘイ ・・・・・ 一柳みる
ロザリンド ・・・・・ 加藤忍
リチャード ・・・・・ 松本きょうじ
エセル ・・・・・ さとうこうじ
ハワード ・・・・・ 尾崎右宗
アイリーン ・・・・・ 長谷部歩

という布陣でした。

ケン・ラドウィッグさんというのは、以前も加藤健一事務所の公演で爆笑させてもらった、「レンド・ミー・ア・テナー」の作家、ということで、「バッファローの月」も、構造的に非常に似たお芝居でした。どちらもバックステージである、という舞台設定。幾つもの扉があり、その扉からの人の出入りがすれ違いを産み、誤解を生む構造。とにかく楽しくて、全編が笑いに満ちた、素晴らしいお芝居でした。

加藤健一さんの芝居の確かさは勿論、「パパ、I love you」でも落ち着いたお芝居を見せてくださった一柳さんの安心できるお芝居も素敵。さとうこうじさんのトボケタお芝居も素晴らしかった。でも何と言っても、松本きょうじさん。加藤健一事務所の常連さんですが、力の抜けた何気ないお芝居なのに、あの存在感はなんだ。ほんとにさりげなく、「見るに耐えんな」なんてセリフを言っただけで、場内が爆笑になるんです。すごい役者さんだなぁ。
 
でもね。・・・ううむ。色々考えちゃった。あんまり言っちゃいけないんだけどさ。

加藤健一事務所のお芝居、というのには、すごく思い入れがあるんです。最初に見たのは、「ブラックコメディ」。これで、戸田恵子さんという役者さんの魅力に圧倒された。女房と結婚するきっかけになったのは、彼女が見た、「セイムタイム・ネクストイヤー」のお芝居でした。是非自分たちでもこのお芝居を演じてみたい!と、二人で台本の読み合わせをやったのが、結婚に至るきっかけでした。初めてのデートも加藤健一事務所のお芝居だった。自分の人生の転機をもたらしてくれた演劇団体。それだけに、すごく思い入れがある。

以前の加藤健一事務所のお芝居は、とにかく、「隙」というものがなかった。「ブラックコメディ」や、「フォリナー」など、キャストを見た瞬間から、もうワクワクする感じ。劇場に入って、プログラムを見る時から、幕が上がり、降りるまで、劇場の運営から退場まで、全てが「これぞ演劇」というテイストに溢れた舞台。客席側はただその舞台を楽しめばいい。そうすれば、ウェルメイドの極上の時間が確実に与えられる。はずれは絶対にない。客が緊張するような場面なんかありえない。

でも、最近の加藤健一事務所のお芝居を見ると、どこかに違和感を感じてしまう。言いにくいことではありますが、はっきり言ってしまえば、加藤忍さん、という役者さんを使い始めてから、加藤健一事務所のお芝居は質が落ちたと思います。加藤忍さん自身の役者としての才能を否定するつもりはないです。素晴らしい役者さんになられたと思いますし、今回の「バッファローの月」でも、実にいいお芝居をされていました。

問題は、加藤忍さんの出演をきっかけに、加藤健一事務所の俳優養成システムと、加藤健一事務所の本公演とがリンクするシステムが出来上がったことにあるんです。俳優養成所の研究生の中で選ばれた優秀な若手俳優さんが、本公演に出演するようになった。今回も、長谷部歩さんが出てらっしゃいました。そのシステム自体を否定する気もありません。いい役者さんを育て、本公演で優れた役者さんたちとのアンサンブルの中でもまれ、さらにいい役者さんになっていく。加藤忍さんは、まさにそうやって成長し、どんどんいい役者さんになってきたと思います。

でもね、観客としては、役者さんの成長を見に来ているんじゃないんです。加藤健一事務所に期待しているのは、若手俳優がキャリアアップしていく姿を見せられることじゃない。一級の役者さんたちが、ウェルメイドの素晴らしい台本を得て、活き活きと、丁丁発止と自分の芸をぶつけあう、そのアンサンブルの見事さ。どこを取っても一級のパフォーマンスを見に来ているんです。

加藤健一事務所の養成所の役者さんたちの中でも、本公演に出る方々は、確かに優秀な方々です。将来有望な役者さんたちだと思います。でも、一級の役者さんたちの中に放り込まれれば、どうしたってそこだけが見劣りする。アンサンブルが乱れる。

誰だって、最初は若手俳優だったんだ。誰だってそうやってもまれてきたんだ。確かにそうです。でも、例えば今回のお芝居にも出ていた尾崎右宗さんが、初めて加藤健一事務所に、「レグと過ごした甘い夜」に出演された時の存在感は、他のベテラン役者さんと比べても全く遜色がなかった。加藤健一事務所、という狭い世界での優秀な役者さんと、演劇界全体で注目されている若手俳優さんとでは、全然存在感が違う。

でもね、加藤健一さんのアプローチを否定する気にもなれないんです。俳優養成所で育てた若手さんを、本公演でさらに一人前にしたい。その気持ちはすごくよく分かるし、そういう試みを継続することってのは、誰かがやらないといけないこと。それを、演劇界の第一人者である加藤さんがやっている、ということは、本当に素晴らしいこと。しかも、結果として、加藤忍、という素晴らしい役者さんを育てた実績は、誇れることだと思います。

でもね(何度目の、でもね、だ)、観客としては、どこかで、昔の加藤健一事務所の公演を懐かしむ気持ちが消えないんです。舞台の隅々まで、どんな端役の役者さんでも、全く隙のないお芝居をしていたあの頃。

それを特に極端に感じたのは、先にも書いた、松本きょうじさんのお芝居です。松本さんのお芝居には、一切の力みがない。「客の受けを取ろう」とか、「オレをアピールしよう」なんていう邪念が一切ない。与えられた役を、ただひたすら自然体に演じている。その自然体に至るために、どれだけの鍛錬と修練と、緻密な計算が背後にあるか。

最近の加藤健一事務所では、開演前に、研修生の方が、「携帯電話の電源をお切りください」というお願いをする。そのパフォーマンスが恒例になっているのですが、やっぱり素人芝居なんです。上手ですよ。一生懸命、「受け」を狙う。実際、お客様には結構受けたりする。でもね、まだ技術が伴わないから、「受け」を狙っている、というのが透けて見えるんだ。聞いているこっちが辛くなってくるんだ。素人さんが一生懸命頑張っている姿を見に来たんじゃない、もっと自然体で、気楽にやればいいのに。そんな風に、演技指導をしたくなるような気分になっちゃうんだなぁ。

同じ養成所の研修生サンたちでも、橋本聡子さんの卒業公演なんかでは、皆さん、力の抜けたいいお芝居をされてたんですがね。本公演の幕前、となると緊張するんでしょうか。力みまくった研修生さんのお芝居と、松本さんの力の抜けた一級のお芝居が、同じ舞台で同じお客様の前で演じられる、というのは、連続したパフォーマンス総体としては、如何なもんなんですかね。

お芝居のことも、劇団を維持していく苦労のことも、全然わかってない、それこそ素人の観客が、なんともいい加減な、僭越なことを書いてしまいました。「バッファローの月」、間違いなくお奨めの舞台です。上に書いたのは、本当に、ないものねだりの繰言です。本当に素晴らしい公演だったのに、なんだか文句みたいなのを書いてしまって、不愉快になられた方がいらっしゃったらごめんなさい。加藤健一事務所、今後もずっと追いかけていきたいと思っています。