誰か麻生真彩を発見してくれんかなぁ

娘がまだ幼稚園生だった頃に、美少女戦士セーラームーンが実写化されて、娘が見たがるから、というのを言い訳に、私も結構喜んで見てました。美少女達のアクションドラマ、という意味では、自分が昔ハマったスケバン刑事のシリーズと重なるものがあったんだよね。そしてまた、出演していた女優さんたちが本当に美人揃いだったんだ。セーラーマーズの北川景子さんの凛々しい美しさが際立っていたのは事実だけど、個人的に一番好きだったのが、セーラーマーキュリーの浜美咲さんだったんです。ドラマの中でも、途中で洗脳されてダークマーキュリーに変身するなど、二面性のある難しい役をそつなく演じていて、どちらかといえば演技力的には発展途上の方が多かったセーラー戦士の中では、セーラームーン役の沢井美優さんと同じくらい、頭一つ抜け出ていた感じがした。その後、出演女優さんたちがそれぞれ、舞台やグラビア、あるいはバラエティなどで活躍されている姿を見て、何となく嬉しかったんだけど、一番贔屓にしていた浜美咲さんが、芸能活動をいったん休止したことがすごく残念だった記憶があります。

そしたら、昨日、娘が、「最近話題になっている、Indeedのコマーシャルの実写版ワンピースって、見たことある?」と聞いてくる。「あれで、ナギをやってるのって、セーラーマーキュリーだった人だよ」と言われて、びっくり。浜美咲さんが泉里香さんという本名で、グラビアアイドルやってる、というのも知らなかったんですけど、巨乳、というウリだけじゃなくて、ちょっと知性も感じるキュートな美しさが、セーラーマーキュリーの面影をそのまま残していてすごく嬉しくなる。

長い前置きになっちゃいましたけどね、本当に書きたいことは、そうですよ、やっぱりさくら学院ですよ。昔の推しがまた表舞台に出てきて活躍するのを見るってのは嬉しいもんだよねぇ。最近くらっと来たのは、新潟のメイクアーティストのutaさんがアップした、新潟で一番かわいい女子高生、白井沙樹さんの最新動画。在学中から際立って整った顔立ちだったけど、目力がさらに強烈になっていて、女神感が半端ない。大学受験に成功して、東京に上京してきてくれて、Freshマンデーで副担任のバイトとかしてくれたら、もう狂喜乱舞なんだけどなぁ。

それで今一番気になってるのが、麻生真彩の卒業後。年末年始のFreshマンデー見ていて、やっぱりこの人のエース感は半端ないなぁ、と思った。ある意味2017年度の絶対的エースだった山出愛子が、麻生真彩に対してかなりキツく当たっていた、というのは、山出さん自身が麻生さんの実力を評価していた、ということの裏返しだと思うし、今の麻生さんの立ち居振る舞いには、昨年の山出さんを彷彿とさせるようなリーダー感がある。黙って背中で見せて、みんなを優しく包み込む母性的な感じの新谷ゆづみさんに比べると、山出さんと共通する万能型の男性的なリーダーが、麻生さん。

でもね、これを書くと父兄さんに怒られそうだけどさ。山出さんとか岡田愛さんみたいに、卒業後もがっつり一線で頑張っている卒業生と比べて、麻生さんって典型的な美人とは言えないと思うんだよね。どちらかといえば愛嬌が先にたつFunny Faceなので、まず美人であることが前提で、そこに何をプラスアルファするのか、という芸能界においては、ちょっと入り口でハンデがある気がする。だから心配になっちゃうんだよなぁ。誰か麻生さんのパンチのある歌唱や、舞台上での爆発的な表現力とか、愛せずにはいられない笑顔の魅力とか、バラエティにも対応できる対応力の高さとかに気づいてくれんかなぁ。

以前の日記で、麻生さんが目指すべきは佐藤日向さんじゃないか、みたいなことを書いたのはそういう共通点もあって、佐藤さんも典型的な美人顔じゃなくて、ちょっと癖のあるFunny Faceの持ち主で、舞台上での歌唱や表現力で勝負する人だと思うんだよね。麻生さんにもそういう活躍の場があればいいんだけどなぁ。でも、そんなに焦ることはないのかもしれないんだけどね。白井さんだって、森先生の後輩目指して頑張っているけど、大学在学中に何かしら表舞台に出てくる予感はあるし、10年以上たって一線に復活してきた泉里香さんみたいな例もあるんだし。それにそもそも、表舞台に出てこなくても、みんなが幸せだったらそれでいいんだから。ううむ、なんだかまとまりがなくなってきちゃった。でもねぇ、父兄さんはみんな思ってると思うけど、昔の推しが表舞台に笑顔見せてくれたら嬉しいと思うんだよねぇ。ちらっとでもいいんだからさ。茨城の看護師さんが病院コントで出てきてくれたりとか、大島4人旅の写真とか出てきたりしたら、父兄はみんな昇天するだろうし、ゆいちゃんが卒業式の集合写真に顔出してくれただけで、みんな号泣だろうしなぁ。あ、オレも含めてね。

あけましておめでとうございます。ということで2018年振り返り

あけましておめでとうございます。2019年が始まりましたね~。20年前には世界が終わるはずだったのに、20年間もご苦労様でございます。これからも引き続き、色々すったもんだあっても、なんとか乗り切って前に進めるといいなぁ。

お年始は毎年、花巻温泉に集まって、のんびり過ごして、着物着てお正月気分を味わう、というのが恒例行事になっており、今年も同じように過ごしました。毎年の恒例行事が変わらず続く幸せ。

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なぜか男らしく自撮りをする娘と、ふにゃふにゃした母。

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そして花巻温泉あんぱんを食らう悪魔、じゃなくて父。

毎年お年始のこの日記の投稿では、その前年を振り返ったりしていますが、恒例行事を変わらず続ける幸せ、ということで、今年も、2018年を振り返りたいと思います。

家族のイベントという意味では、やっぱり娘の大学進学が一番のイベントでした。縁があって入団させていただけたワグネル・ソサィエティー・オーケストラの活動を中心に、娘の日常もずいぶん変化があって、高校の頃の活動よりもぐんとスケールアップした忙しい日々を送っているようです。今年の3月にはサントリーホール定期演奏会サントリーホールで毎年演奏会やってる学生オケって、何者さ。

女房のオペラ歌手としての活動も、これまでの活動がさらにレベルアップした感覚がありました。ほぼ毎年のように参加させていただいている室内歌劇場のせんがわ劇場シリーズでは、「天国と地獄」で初のプリマをいただき、常連として参加させていただいているシャンソン・フランセーズでもトリの大曲をもらい、浅草オペラのシリーズは南会津や大阪にまで展開。そして最大の挑戦が、「コシ・ファン・トゥッテ」のフィオデルリージ。2019年も、ポーランド語のオペラや、アメリカ歌曲の大曲など、さらに挑戦の場を広げていく予定。

そうやってスケールアップしている家族を尻目に、私自身は、といえば、サロンコンサートをやったり、ガレリア座の二公演に参加したり、麗鳴の30周年記念演奏会に参加したり、と、いつものように充実した舞台活動をこなしたんですが、一方で、なんとなく自分の年齢を意識する場面が増えた気がしていて、そろそろ、やりたいことは今のうちにやっておかないと、という焦りが出てきていたりします。そんな焦りもあって、サロンコンサートのシリーズでは、ずっとやりたかった「仮面舞踏会」のレナートを歌ってみたりしたんですが、2019年は、無謀かもしれないけど今のうちにやっておかないと・・・という企画を準備中。また詳細は別途宣伝しますね。

先日誕生日を迎えて、私も54歳。家族に、「54歳の抱負は?」と聞かれて、「やりたいことをやりたいようにやる」と答えました。背伸びかもしれないけど、今からどんどん手が届く範囲が狭くなってくるかもしれないし、まだ手の届くうちに、やれることをやらないと。そんな焦りの中で、ひょっとしたら全然違う地平が見えてくるかもしれないし。そんな思いで、この2019年を過ごしていきたいと思います。今年もよろしくお願いいたします。

 

フィクションが現実を侵食・再生産するのが「さくら学院」

さぁ、今日もさくら学院のことを書きますよ。さくら学院ってのはねぇ、語り始めると本当に止まらないんだよ。ずっと書きたかったこと、2017年度の学院祭のことだ。

2018年度の学院祭の寸劇が素晴らしい脚本で、デロリアンになることが決まって狂喜乱舞している父兄多数、というのが、最近のさくら学院を巡る最大のトピック。ただ、張り巡らせた伏線の中で、「『カメラを止めるな』みたいな伏線を後半で回収する脚本は難しいんだ」と言っていた森ハヤシ先生が、WAGE時代に書いた「公園」というコント(Youtubeで見ることができます)を見ると、森先生自身が、前半に仕込まれた構造が後半の展開で回収される、という脚本を、若い頃から書いていたことが分かる。そう思って振り返ってみれば、2017年の「Friends」の寸劇にしても、前半に仕込んだ「山出と岡田を仲直りさせるためのアイデア」が、後半にことごとく失敗していくプロセスが笑える、という構造になっていて、もともと森先生は、そういう脚本を書くことに長けている人なんじゃないかな、と思います。

で、本題の2017年度学院祭の寸劇のこと。脚本のベースになっているのが、当時中三の3人、山出愛子さんと岡田愛さん、岡崎百々子さんの関係にある、というのは、2018年度の脚本と同じ構造なのだけど、本音をぶつけ合って大げんかしている山出さんと岡田さんに対して、気が優しくて言いたいことの言えない岡崎さんが、本当の気持ちをぶつける、というシーンが全体のクライマックスに置かれていた。

面白いのは、その寸劇の物語が、卒業公演に向かっていくプロセスの中で現実に再生産されたこと。2017年度のRoad to Graduationのデロに収められている特典映像のクライマックスが、岡崎さんが泣きじゃくりながら、メンバーに向かって、「やる気がない子は帰っていいから!」と言い放つシーンで、ここで岡崎さんを良く知る麻生さんのナレーションが、「百々子が大きな声でメンバーを叱ったのはこれが初めてだった」と告げる瞬間、寸劇で描かれた「本当の気持ちをなかなか言えない岡崎さんが、しっかり自分の気持ちをぶつける」というフィクションが、現実のさくら学院の危機を救う、という形で再生産される。さらに、あのセトリを巡る話し合いの中で、岡崎さんの「2017年度のさくら学院ならできます」という名言を生むにあたって、フィクションで描かれた中三の人間関係がさらに重みを増し、物語が物語を再生産するメタ構造を構成するに至って、2017年度の一年間のドラマが極めて重層的なものになった。

こういう、フィクションが現実に変貌していく、あるいは再生産される、というのが「さくら学院」というアイドルの一つの大きな魅力で、それは2017年度の寸劇だけではなくて、BABYMETALの中元すず香の伝説の「歌の考古学」の授業でも現れた構造。「島唄」の生まれた背景に第二次大戦の沖縄戦の悲劇がある、という説明から、故郷の広島に根付く原爆の悲劇と平和への希求を語ったすぅさんのプレゼンテーションは、一つの物語として感動的なだけではなく、それがBABYMETALの伝説的な「LEGEND S」という大きくスケールアップした物語と化したことで、物語が拡大再生産されるそのプロセス自体が奇跡の物語になった。他にも、秋桜学園合唱部で描かれた人間関係は、黒澤美澪奈倉島颯良のその後の関係性に確実に影響していたり、I・J・Iの歌詞がそのまま2016年度のセトリを巡る物語とシンクロしたり、という重層性もある。

さくら学院の中で語られた数々の物語の中には、現実や時間の壁を越えられずに消えていった物語もあれば、今でも壁を乗り越えようと七転八倒している卒業生のリアルな物語もある。そういう終わりのない物語たちが絡み合いながら8年間続き、そしてきっとこれからも続いていくのだ、という時間感覚が、このグループの魅力を本当に多層的なものにしている。父兄の願いは、無限の可能性と未来を秘めたこの才能あふれる子供たちの物語の全てが、大きくても小さくてもいい、綺麗な花を咲かせてハッピーエンドで終わること。みんな、幸せになれ。

麻生真彩と日高麻鈴の歌声はどのように引き継がれていくのか

さぁ今日はさくら学院のことを書くぞ。さくら学院のことしか書かないぞ。ずっと書きたかったネタ、2018年度の歌姫、麻生真彩日高麻鈴(高ははしご高、以下同様)のことだ。

さくら学院のボイトレの方針ってすごいなぁ、と思うのだけど、徹底的に思春期の少女たちに地声発声を実践させるのだね。ファルセットも勉強しているみたいで、ソロ活動のときの山出愛子はその伸びやかなファルセットが持ち味になっているし、麻生真彩も、先日の学院祭のソロ曲で、地声からファルセットへの綺麗な切り替えを聞かせてくれた。でも、全員で歌う楽曲では、徹底的に地声発声で通している。変声期にこれを徹底していることで、中元すず香の圧倒的なメタルボイスが磨かれたことは事実だと思うし、実際、身体としっかり連動する強い声帯を作り上げることができるんじゃないかな、と思う。

中元すず香は別格としても、この指導方針の最大の成功例が、佐藤日向で、彼女がSaint Snowで聞かせてくれるパワフルな歌声の原点は、2012年度のステージですでに垣間見ることができる。すぅさんの歌唱の影に隠れてちょっと目立たないけど、2012年度の中二4人は、キャラクターの強さもさることながら、歌唱能力でも全員が、高水準で安定的な力を持っていた。

その中でも声の圧力の高さで群を抜いていたのが佐藤日向だったのだけど、その後継者とも言えるのが麻生真彩だと思う。麻生真彩を、ルックスも含めて、中元すず香の後継者と見る人は多いけど、特に中音域のパワフルな響きと、時に破綻することもあるパッショネイトな歌い口は、正確無比なすぅさんのレーザービームより、佐藤日向の大砲感により近い。先日の学院日誌で、日向ちゃんのレビュースタァライトの舞台に憧れた、と言う麻生真彩は、間違いなく正しい方向を向いている。長い手足と演技力、高いダンス能力も含めて、麻生真彩さんにはミュージカル舞台が向いていると本当に思う。

一方の日高麻鈴は、麻生さんほどのパワーはないものの、高音の伸びやかさと安定した音程が持ち味で、さらにこの人はフレーズ感覚がとてもいい。その歌い口の見事さが顕著に現れたのが、freshマンデーで披露された伝説の「identity」の弾き語りで、最近さらにパワーを増したダンスのキレといい、この人もミュージカル舞台が映えると思う。どちらかというと、日高さんは赤毛のアンみたいな名作ミュージカル舞台っぽくて、麻生さんはスタァライトみたいなバトル系が合ってる気がしますけどね。

この2人がツートップを務めていて、さらに癒し系の地声を持っている新谷ゆづみが、しっかりと存在感を持って全体を支えている、歌唱、という点では、2018年度のさくら学院は、この3人が牽引している歌のパワーが半端ない。逆に言うと、今の中2ーずには、この3人に匹敵するような魅力のある声の持ち主がいない。中2ーずの4人のキャラクターやプロデュース能力、ダンスのキレなどについては本当に申し分ないのだけど、こと歌唱、という点では、2018年度からは若干ダウングレードするのはやむなしかなぁ、と思ったり。

もちろん、そういう予想をがっちり裏切ってくるのが、成長期アイドルさくら学院の真骨頂で、先日の学院祭では、藤平華乃の中音域の声圧に、おおっと思わされた。吉田爽葉香は水野由結さんを彷彿とさせるベビーボイスで、高音が結構伸びるので、全体のパワーは若干落ちるとしても、バランスは悪くないかもしれない。ちょうど、2013年度から2014年度になった時、歌唱のパワーは落ちたけど、菊地最愛の声を中心に、アイドルっぽい可愛らしさが前面に出てきた時と同じような変化があるかも。

そう思っていたら、中1ーずの2人の歌唱の成長がすごいんだよね。「夢に向かって」の転入生3人ソロでは、転入式の時は野崎結愛の声しか聞こえなかったのに、先日の学院祭では、しっかり2人の声が出ていた。もともと地声を伸ばすさくら学院のボイトレ方針で行くと、地声が綺麗な子は歌も伸びる。野中ここなも、白鳥沙南も、とてもいい地声をしているので成長期待。特に沙南ちゃんのあの笑い声はいい。ちゃんと腹から声が出ている。それをそのまま伸ばせば、2017年度の麻生真彩日高麻鈴みたいに、中3の歌唱をがっちり支える中2ーずになれると思う。キャラクターが若干破綻しているのがどう落ち着いてくるか、というのもあるけど、この2人は破綻しているところが魅力だったりもするからなぁ。

こういう楽しみ方をしてると、さくら学院って本当に、部活エンターテイメントだなぁって思う。高校の部活とかで、実力のある上級生が卒業した後に、どうやってパフォーマンスの水準を維持するか、というのが、父兄やファンの心配事になったりするけど、それとすごくシンクロする。そういう意味でも、さくら学院のコアの部分は職員室の指導者にあって、高校の部活の水準を支えているのもその指導者だったりする。森ハヤシ先生の2017年度の送辞にもあったけど、さくら学院を守っているのは、職員室の先生方なんだなぁと本当に思う。

音楽関係インプット棚卸し(今年中にやらなくちゃ)

またぞろ日記の更新が滞っていてすみません。最近、どうも、日記とかブログを更新する意欲が減退しててさぁ、という話を娘にしたら、「文章書かないと呆けるよ!あたしゃパパとママの介護だけは絶対嫌だからね!」と言われる。娘の将来のためにも書かねば。

と言いながら、今一番書きたいのは2018年度のさくら学院のことだったりするんですけどね、それはまた別の記事でたっぷり書くとして、とりあえず、しばらく溜め込んでしまった各種インプットの中から、まずは音楽関係のインプットをずらずらと並べてみます。ちょっと長文になるかもしれませんがご容赦を。

12月2日(日)、女房が所属していた大学合唱団の学生指揮者同士、ということで結成された、貝賀直樹さんとのユニット、「ジュゴンツチノコ」の第二回演奏会「今年中にやらなくちゃ」をお手伝い。今年メモリアル、またはアニバーサリーを迎えた作曲家達を特集したこの演奏会、ロッシーニからドビュッシー、グノー、バーンスタインという、なんともオールラウンドの選曲で、女房も「ちょっとやりすぎたかな」と言っておりました。私は、舞台セッティング、字幕スライド作成と映写、その他裏方のお手伝い。受付は貝賀さんの奥様がお手伝い、ということで、例によって家内制手工業。大学時代の先輩後輩を中心にしたお客様方も合わせて、なんとも家族的な雰囲気の楽しい演奏会になりました。

かなりの大曲・難曲を並べたこともあり、女房は決して100点満点の出来ではなかったと思うのですが、それでもうまく失点挽回しながら全体にお客様が満足できるレベルにまとめるあたり、プロの歌い手として活動してきた経験値が生きたかな、と思います。特に最近は、かなりアドリブ力が求められる特殊な現場をいくつもかいくぐってきたからねぇ。個人的には、ドビュッシーの歌曲二曲が出色でした。

それにしても、いくらメモリアルとは言え、このラインアップの曲を並べられる、というのは、このユニットならでは、だと思います。英米とフランス物を得意とする女房のレパートリーと、貝賀さんのアマチュアならではの少しマニアックな選曲センスがコラボして、ちょっと他の演奏会では聞けそうにないようなプログラムになりました。バーンスタインの曲の中から、華やかな「Glitter and Be Gay」と並べて、敢えて「Somewhere」と「Simple Song」を選んできた選曲センスもよかった。この二曲も、客席には真っ直ぐ刺さったようで、Somewhereでは涙ぐむお客様の姿もありました。

今回の会場が、先月新規オープンしたばかり、という渋谷ホールという会場で、渋谷駅から徒歩5分以内で、内装も大変キレイ。そしてピアノはファツィオリ、ということで、こじんまりした会場ながら、ハレの気分を楽しめる素晴らしいホールでした。プロジェクターや照明設備を本格的に使用した演奏会イベントはこれが初回、ということもあり、会場スタッフの方が、まだ機器の操作に慣れない中、一生懸命試行錯誤してくれて、その姿勢がありがたかったです。舞台裏方としては、初期設定の設備によくある、使ってみないと分からない細かい不備や注意事項などを、スタッフさんと話し合いながらクリアしていって、最終的にはなんとか破綻なく、いい感じの舞台にすることができて、なんとかお役目果たせたかな、という感じ。照明の色の雰囲気を、会場の照明機材を初めて使う、という舞台スタッフさんと色々話し合いながら決めていって、ちょっと暖色系の明るい色にしてみたんですけど、プロのカメラマンの方から、「照明の感じがとてもキレイでした」と言われて、ちょっと嬉しくなる。カメラマンさんは会場の機材の能力の高さと、会場の内装を誉めてたんですけどね。

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終演後、カメラマン(早川礼子さん)による撮影会。利用時間終了ギリギリまで、会場の雰囲気を楽しませていただきました。

 

11月25日、娘の所属している調布フィルハーモニー定期演奏会を女房と一緒に拝聴。ブルッフ交響曲3番と、ブラームスの4番、という、交響曲2本だて。娘は、前日にワグネル交響楽団のチェロパートのアンサンブル演奏会があったこともあって、準備不足でかなりヘロヘロ状態だったようで、終演後はちょっと悔しそうな顔をしていました。でもそもそもが交響曲2本、というのは結構ヘビーだよね。

前半のブルッフ交響曲、というのは初めて聞いたのですが、ウィキによれば、ブラームスとは同時代人で友人でもあった、とのことで、楽曲の保守性から、後代の音楽家リヒャルト・シュトラウスなど)に攻撃されて、完全に忘れ去られてしまったとか。なんか、昔ガレリア座でやった、「悪魔のロベール」のマイアベーアを思い出させる表現だよね。でも確かに、耳に心地よい優しい旋律とかっちり作られた音楽は、心地よいのだけど、あんまり印象に残らない感じがした。娘によると、「印象に残らない音楽なのに、技術的にはすごくがっちり作ってあって結構難しい」んだって。苦労する割りに聞き映えがしないってのも、「悪魔のロベール」っぽいよなぁ。

そういう音楽があるんだよねー、と女房が言ってました。「コンコーネのミサ、とか、バイエルの歌曲とかさ。教科書的でとても技巧的なんだけど、後世に残らない音楽ってあるんだよねー」と。後半に演奏されたブラームスが、やっぱりさすがブラームス、という煌めきに満ちていて、こういう輝きがないと残らないんだなぁ、と思う。

 

11月には、METのライブビューイングを2本見ました。一本目は、アイーダ。タイトルロールのネトレプコがとにかくすごい、と評判だったんだけど、考えてみれば私はアイーダというオペラをしっかり客席で通しで見たことがないんですよ。それでオペラファンとか言うなって話ですけどね。すみません。

このMETのアイーダ、女房が、「いつか世界遺産にしてほしい」という、ゼフィレッリの作り上げた舞台装置をベースとした壮大なセットがなんと言っても見せ場。娘が、「METのアイーダには人件費という概念がないのか」と呟いた、とにかく圧倒的な群衆と物量。あの槍持ったお兄ちゃん達の中には、お昼までレストランでバイトしてたヒトとか入ってるよねぇ、なんて言いながら見てました。

ネトレプコという歌い手については、私が何か語るのはちょっと難しい気がしています。女房が語り始めるともう止めどがなくなっちゃうんだけどね。舞台での華やかさとか、演技の艶やかさとか、声量とか声圧の強さ、みたいなことが語られることが多いのだけど、女房に言わせれば、「楽譜の徹底的な読み込みの中で、この音、このフレーズ、この母音、この子音なら、このフォームが最適、というフォームを一つ一つ選択していく繊細さと、それを設計した通りにきめ細かく切り替えていくコントロールの完璧さ」に圧倒されるんだそうです。私にはそこまで聞き取れる耳はないのだけど、低音から高音まで、切れ目なくなめらかに流れるフレーズの流麗さにはいつも感動する。「本当にキレイに流れるよねぇ」というと、女房は、「私にはものすごく細かいギアチェンジが全部聞こえるから、逆に打ちのめされるんだよねぇ、ここまでやっちゃうんだ、って思ってさぁ」と言う。共演者の中では、なんといってもラチヴェリシュヴィリが素晴らしかった。ネトレプコとは「アドリアーナ・ルクブルール」でも共演する、というので、これも楽しみ。

もう一本見たMETライブビューイングは、「サムソンとデリラ」。「カルメン」で、あんたたちホンモノのホセとカルメンでしょ、と思わされた、アラーニャ、ガランチャのカップル共演、と言われたら、行かんとダメでしょう、と、これまた家族3人で行きました。

ガランチャ自身が、「スターウォーズみたいでしょ」と言っていた未来的なセットも素晴らしかったし、娘がむちゃくちゃ好きで自ら「ヘドバン状態になりました」と言っていたバッカナールのロックな感じ(METのオケが破綻したのを聞いたのは数回しかないけど、明らかに破綻していて、でもそれがムッチャ荒ぶる感じで堪らなく良かった)も、ホント最高なんですが、なんと言ってもアラーニャとガランチャです。お互いに不幸になると分かっていながら本能で互いを貪り合うように求めてしまう男と女の運命を、視線だけで表現できてしまうってのは、オペラ歌手の中でもあんまりいないカップルだと思う。アラーニャもかなりいい年齢になったと思うのに、素晴らしい歌唱でした。

さて、女房の今年の本番は、冒頭に書いたジュゴンツチノコでシメ、ということなんですが、私は、12月15日に、府中の森芸術劇場ウィーンホールで、合唱団麗鳴の定期演奏会があります。それで私の今年の音楽活動はシメ。そして来年に向けて、すでに仕込みは始まっております。そういう周知、告知は、別のブログに載せているんだけど、そっちの方も更新が滞っているんだよなあ。ボケないために書かねば。Write, or die.

Crankybox十周年記念公演 第九回本公演「なんとかbox」~めざせ純烈~

最近、女房が関わっている舞台の中で、とにかく客席がすごく盛り上がるのが、シャンソン・フランセーズと、浅草オペラ。どちらにも共通しているのが、クラシックの歌い手が、クラシックナンバーだけではなくて、シャンソン昭和歌謡も交えた様々な歌曲を歌う舞台であること。そして両方に共通しているのが、そういったヴァラエティに富んだ歌曲たちを、破綻なく一つの舞台にまとめあげる構成力の素晴らしさ。聴衆は歌い手の歌唱技術だけではなくて、全く異なる楽曲が並んで演奏されることで生まれる相互作用や、巧みなMCや間奏曲によって結び付けられる関係性や、歌い手自身のキャラクターとの間の化学反応も楽しむことができる。さらにそこに、自分の耳になじんだ楽曲の歴史や記憶が生み出す多次元な意味が付け加わると、その舞台は聴衆一人一人にとって本当に特別な体験になる。

そういう多重的な意味空間を作り出すには、何より、楽曲の間の新たな関係性を生み出す構成のセンスと、それをやりきる歌い手の舞台センスが大事。ヘンに、「この楽曲とこの楽曲をこう並べたのにはこういう意図があって」みたいなアピールをだらだら並べて白けてしまったり、パフォーマンスに妙な力みやテレが加わった素人っぽい一瞬で、一気に空気が冷え込んでしまう舞台、なんてのは沢山ある。さて、前置きはこれくらい。今日は、17日にせんがわ劇場で開催された、Crankybox十周年記念公演「なんとかbox」の感想文だ。

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Crankyboxのマスコットキャラクター、くらんきうさぎ。ピアニストの桑原遥さんのオリジナルイラスト。まじカワイイ。

先日のシャンソン・フランセーズで女房が共演させていただいた植木稚花さんのキュートさと美声にやられたあと、女房から、「稚花ちゃんが参加しているCrankyboxは、本当にセンスがよくってとっても楽しいよ」と言われていて、一度伺ってみたかったんです。今回、週末の時間も合い、会場も、我が家の近所のせんがわ劇場、ということで、やっと伺うことができました。聴衆を上手に巻き込んでいく舞台の構成の妙と、4人のキャラの立った美女たちが本気で繰り出すギャグの数々。それが本当に心地よくて、笑いと音楽の癒し入浴剤がたっぷり入った適温のお湯にゆったり漬かった気分になりました。

前半、Crankyboxのboxにかけた、「ハコヤリゾート」という温泉旅館を舞台にした音楽コント(コント、と言い切ってしまうけど)の楽しいこと。なんか、クラシック音楽をネタにした品のいいスネークマンショウ、っていう感じ。揃いのオリジナル法被から、湯もみ板、座敷わらしまで、本気で作りこんでいる中で、演奏される音楽ががっつりプロ品質で、合間のコントのクオリティの高さも相まって、とにかく舞台に妥協がない。

そういう作り手の本気度、というか、自分たちはこういうものを作りたいんです、という妥協しない姿勢、というのが結構如実に見えるのって、裏方の頑張り度合いだったりするんです。今回の舞台で、一つ、すごいなぁ、と思ったのが、照明の作りこみだったんですね。プロの照明プランナーが作りこんだのか、劇場の照明スタッフがすごく頑張ってくれたのか、よく分からないんですが、温泉の湯気を表現したスモークから、温泉マークのネタ、後半、どの曲が演奏されるか分からない状態の中で、曲にあったホリゾントライトを出してきた臨機応変な対応、そしてミラーボールと、照明が本当にいい仕事をしていて、Crankyboxさんはせんがわ劇場にすごく愛されてるなぁ、と思った。劇場のスタッフさんって、本気の演者に優しいんですよね。

後半、お客様がレパートリーの中から希望曲を選んでステージをつくっていくジュークボックス(おお、このboxもcrankyboxにかけてあるのか。今気づいた!)式の舞台も、アドリブのMCが楽しくて全然飽きさせない。選曲のセンスの良さも本当に素敵。そして何より、歌い手の鈴木沙久良さんと植木稚花さんっていうのは、地声が綺麗なんです。だからMCの声を聴いていて心地よいし、特に後半、オンマイクでJPoPとか歌うと、本当に素敵に聞こえる。もちろん、お二人ともクラシック歌手なので、あまりオンマイクの歌唱に頼ってしまうのも善し悪しなんだろうな、とは思うんですけどね。

こういうセンスのいい本気の舞台をしっかり作り上げているから、10年間続いたんだと思うし、せんがわ劇場を満席にできるだけのリピーターも増えてくるんだと思うんです。私が座った席の後ろに座った男性二人が、「前回の舞台は見逃したんですがね、第x回からずっと見てるんです」「私は第y回は見逃したなぁ」なんて会話されていて、おお、沼にハマっている人がいる、と思う。お隣の席の上品なおばさま方が、開演前に、「あら、異邦人って、歌ってもらえるのかしら、いい曲よねぇ」なんて会話をされていたら、後半でリクエスト権を得て、嬉しそうに「異邦人」をリクエストされていました。それをまた、いいアレンジと美声で演奏されるから、おばさま方は本当に嬉しかったと思います。そういう特別な時間をくれる舞台って、そんなに沢山あるものじゃない。

コントも歌も本気でしっかり作って、お客様の求めるものをしっかり届ける、そういう姿勢を貫いていけば、次の十年もサポーターは増えていくと思います。Crankyboxの皆さん、本当に癒されました。ありがとうございました。稚花さん、お疲れさまでした。銭湯アイドルの純烈も紅白に出るんだから、Crankyboxも、行けるぜ紅白。

BABYMETAL World Tour 神戸参戦記

BABYMETALのWorld Tour、神戸の二日間公演に参戦してきました。家族にはアホと言われ、女房の大事な舞台も見ずに、朝も早くから新幹線で神戸入り。物販に並び、しんしんと冷えてくる夕刻のポートピアホテル広場で震えながら、モッシュピットで熱くなり、二日目は三宮の駅近辺で映画を見たりして時間をつぶし、再びモッシュピットで燃え上がり、帰りは深夜バス。三宮駅近辺では多数のメイトさんが分かりやすいベビメタTシャツでうろうろしており、同じホテルにもメイトの方々が宿泊していて、エレベーターの中で、「明日も頑張りましょう」なんて声をかけあったり、深夜バスの待合室にもベビメタパーカーなど多数。馬鹿ですね。はい。

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新幹線車内で食べる朝ご飯を、品川駅構内のコンビニで買ったら、合計金額が444円。これを見ただけで泣けてくるところがもう重症。もうBLACKMETALの「4の歌」は聞けないんだなぁ。物販の列でも、広場でも、やっぱり話題はYUIMETALの脱退と、今後の展開。古参のメイトさんが、「もし誰か新しいメンバーが参加するとしても、やっぱり由結ちゃんの場所は空けておいてほしいなぁ」とおっしゃっていて、みんな同じ思いだなぁ、と思った。

コンサート自体はとにかく無茶苦茶盛り上がって、前半のSABATONのパフォーマンスから、会場の温度がどんどん上がってくる。このSABATONが、ただでさえ男臭いメタルの世界の中でも、歴史に残る世界の戦いと、それに命を賭けた男たちの物語を歌いあげるWAR METALと言われるむっちゃ男性的なメタルなんだね。題材には、第二次大戦からローマ時代の戦争、彼らの出身地であるスウェーデンの戦争から、西南戦争の最後の戦いである城山の戦いまで出てくる。金属的な高音をカンカン響かせるメタルヴォーカルが多い中で、SABATONのヴォーカルのヨアキム・ブローデンさんは、バリトン系の男臭いヴォーカルで、メタルなのに多分私でも十分歌える音域。その男性的なMETALが、後半のBABYMETALとの対比になっていて、そういう意図なんだなぁ、と思った。

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BABYMETALのパフォーマンスについては、多分色んな人が色んなレポートをしていると思うけど、World Tourのプロセスで次第に構築されてきたCHOZON SEVENの全容ががっつり完成した達成感があった。あえて個性を殺したようなメイクのマッスル・シスターズのパフォーマンスにも、紅月のガチバトルパフォーマンスや、キレッキレのソロダンスなど、しっかり見せ場が用意されていたし、フォーメーションも、これがMIKIKO先生がやりたかったことか、というのがとても明確になった気がした。それが頂点に達したのが、新曲STARLIGHT。会場の天井をさらに突き抜けて天空を突き通していくようなSUMETALの高音。そして光とダンサーたちが作り上げるファンタジックな舞台。ものすごい高揚感。

どうも私の耳が悪いのか、1日目はバックの音響のピッチが合わない感覚があって、これは去年の巨大キツネ祭りの1日目にも感じた違和感だったのだけど、そんな中でも、SUMETALのピッチが全く揺るがない。イアモニを使っているとはいえ、自分自身の声と音程に対する鉄壁の自信。2日目にはバックとの違和感も消えて、純粋にSUMETALの声の貫通力を楽しむことができました。このSUMETALの声を浴びることができただけで、このツアーに参戦してよかった。

今後の展開、という点で言えば、SUMETALの絶対的な声を柱としたファンタジー世界を作り上げていく中で、CHOZEN SEVENというのはやはり一つのプロセスに過ぎない、とも思いました。CHOZEN SEVENの中では、やはりMOAMETALの存在感が薄れてしまう、というのもそうだし、YUIMETALとMOAMETALのBLACKMETALの楽曲と、SUMETALのソロ曲を交えることによって、三人の負荷を分散させていたコンサートの構成が保てない、という問題も感じた。実際、今回はSUMETETALメインボーカルの曲がノンストップでガンガン連続して、すぅさん大丈夫か、と心配になる。もちろん、そんな心配を吹き飛ばすパワーだったんだけど、二日目のラストのTHE ONEで少しすぅさんの声がかすれる瞬間があって、やっぱりかなり無理しているのかも、と思ってしまいました。そもそも、SABATONとBABYMETALのダブルキャスト、という構成自体、この体制ではワンマンライブは厳しい、という運営側の判断だったのかも、と思ったりします。

両日のラストに歌われたTHE ONE、二日目のすぅさんの歌唱を聞いていて、突然、「You are the one, forever, you are only one」という歌詞が、逝ってしまった藤岡幹大さんやYUIMETALへの歌いかけに聞こえてしまって、なんだか涙が止まらなくなる。このあと、BABYMETALがどんな挑戦をしていくのか、そこにどんなピースが加わっていくのか、それが楽しみではあるけれど、LEGEND Sから始まったBABYMETALの新章が、間違いなくかつてのBABYMETALを葬ったんだな、という感慨もありました。中元すず香さんと菊池最愛さんが、今後どんな道を切り拓いていくのか、これからもずっと見守っていきたいと思いながら、やっぱりオレにとってのBABYMETALは、三姫だったなぁ、と、なんだか胸アツで深夜バスに揺られる53歳であった。ゆいちゃん、本当にありがとう。

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会場の隣にある神戸ポートピアホテルの窓に、一日目はYUIの文字があって、みんなで写真を撮ってました。分かりにくいけど、この写真の下の方にあります。二日目にはこの窓には、ONEの文字がありました。この部屋に泊まったメイトさん、みんなも同じ気持ちだよ。